なおぼんの後輩の話を脚色しました。
可愛そうな男の子なんです。
同情してやってくださいな。


家内の見舞いの帰りに遅くなったので、病院前のラーメン屋で夕食を摂ることにした。
以前から気になっていて、今回の入院から、この店を利用するようになったのだ。

おやじがなかなか寡黙で、味も申し分なかった。
博多風とんこつラーメンが売りの京都ではそんなに珍しくもない店だけど、チェーン店にはない独自性があるなと思ってもいた。
それで、今日は三度目の来店なわけであるが、日曜のこの時間にしてはけっこうな客の入りで、珍しかった。
大体、俺のような病院客をあてこんだ店だったから。


600円のとんこつラーメンを注文し、部屋の角(かど)のテレビを見ていた。
ふと、前のテーブルのお姉さんがわめきだした。
瓶ビール二本を空にして、麻婆豆腐をあてにかなりできあがっている。
一見して水っぽい衣装で、日曜のこの時間ではもう仕事をあがっているのだろうか?
「んだよ、うるさいなぁ」
カウンターの夫婦者の客に絡みだした。
ひそひそとその女のことを旦那のほうが嫁に耳打ちしてるのが気に食わなかったらしい。
「あたしのこと、パンパンとか言ってんでしょ」
古い言い回しをしたので、滑稽だった。
そんな歳にゃあ見えないから。

夫婦者もかなりビールが入っていて、旦那のほうの目が座っている。
「やべぇな」と俺は思ったよ。
こういう客がいりびたるとおやじもたまらんやろな。
そっとおやじのほうを見た。

やっこさん、寡黙を押し通して、ラーメンをゆでている。
「ねえちゃんの、おめこはもうくさってんのとちゃう?」
「なんやてぇ?あたしのどこが腐ってんのよ。あんたの嫁はんといっしょにせんといて」
「じゃかあしわ。さっきから黙って聞いてたら。ええかげんなこといいくさって」
旦那がキレた。
嫁が止めに入る。
おやじが、まあまあと女のほうにビールを持ってくる。
「ありがと」
「もうこれでやめとき。飲みすぎや」
どうもこの姐さん、常連らしい。

「すんまへん、酔客のたわごとです。お代はよろしいから」
「そらあかん。おっちゃんは関係ないがな。こいつが悪いねん」
と旦那。
「もういこ。酔いがさめたわ」とよく見れば、アイシャドウのきつい嫁。
「ほやな。けったくそわるい。おっちゃんお勘定」
「すんませんな。ほなら三千三百円です」
「ここに置くよ」
「へい、まいどおおきに。こりんと来てやってください」
「ほな、またな」
二人は出て行った。

女はあっかんべーをして出ていく二人を見送る。
やれやれ・・・
そして俺の前にとんこつラーメンが置かれた。
「へい、おまっとうさん」
「あ、いただきますぅ」
テレビと女をちらちら見ながら、おれはラーメンをすすった。
女は、手酌でビールをコップに注ぎながら、自分のネイルだか指輪を見ていた。
けっこう、美人系だった。
ふと、目が合う。
「あら、お兄さん、お一人?」
「ええ、まあ」曖昧な返答をしたのがいけなかった。
今度は俺に絡むのかよ。
「いい。ここに座って」ビール瓶と自分のコップをもってそこに立っている。
「・・・・」
俺は何とも反応をしなかった。
「大将。グラスを」女が注文する。

いそいそとおやじは、さらのコップをもってきた。
俺はどうしようというふうな顔をしていたと思う。
おやじは片目をつむって首をかすかに振った。
(少しだけ相手になって、帰れ)
そういってくれているようだった。

「おひとつ」
ほかの客が動向を見守っているように思えた。
おれはコップをつかんで注いでもらった。
「ふふん。いい男」
「は、はあ」
一口だけビールを飲んだ(車やったのに)。礼儀だし・・・
「ね、あたし、今晩泊まるところがないの。お兄さん、手当してくんない?」
「は?」
俺は、ラーメンを吹きそうになった。
おやじは、ダメダメと手振りでカウンターの奥から合図する。
「俺、だめっすよ」
「奥さんとか子供さんとかいるの?」
「そりゃま」
「じゃ、しかたないなぁ」
なんだか、かわいそうな気がした。
さっきの勢いがまったくなくなっていたから。
「あ、俺、かみさんが入院中で」
「え?なになに」
「俺も一人なんですよ。今晩」
「や~ん。早く言ってよ。あたしついてるぅ。ここのお勘定あたしがもつから。ね、ね」
おやじが、あちゃーという風に手を額に当てて、やっぱりダメダメと言ってる。
「でも、この人かわいそうじゃないですか」
ぷっと吹き出すカウンターの客。
「兄ちゃん、そんなやつ相手にしちゃ、人生終わっちゃうで。やめとき」
俺が苦笑いしてると、勘定を終えた女が
「ほっといてえな。あんたには関係ないやろ!さ、いこ、兄さん」
俺は半ば、引っ張られるように店の外に連れ出された。
「兄さん、歩き?」
「あの、病院の駐車場に車・・・」
「奥さん、入院してんねんね。病気なん?」
「心臓のね」
「へぇ。大変なんや。ごめんなぁ」
「ううん、ええねん。姐さん、悪い人やないと思ったから」
どっからそんな出まかせが出るのか自分でも不思議やった。
「うれしっ。車で、出よか?」
この先にラブホがあるのは、京都に住んでいる男なら誰でも知っている。
「ううん、このまま、あのホテルに泊まろや」俺はそう言った。
夜気が冷えてきた。
「ええのん?車ほっといて」女はまったく動じず、はなからそのつもりの口ぶりだった。
「パスカードって、前払いで駐車料を払うシステムを使ってんねん。停めたままでも明日の朝に出してもええねん」
「そんなに長いこと入院してはんねんね・・・」
「まあね」
俺は、家内とは長らくセックスレス状態だった。
家内の心臓が先天的に奇形なため、セックスには消極的で、妊娠や出産などもってのほかだった。
最初はそれでもよかった。
でも男の性(さが)とは悲しいもので、オナニーよりも生身の女を抱きたくて、風俗へ密かに通っては後悔していた。
そこへ、この女の登場である。
俺にとっては渡りに船であった。

女の肩を抱き寄せて、さっとラブホのノレンをくぐった。
腕時計を見ると夜の九時前だった。
駐車場にはけっこう車が停まっている。
「一番安い部屋でええしね」
俺は、明かりのついた部屋のパネルのボタンを押した。
「204号やで」
「うん。いこ」
二人は、もとからそんな約束があったかのように、エレベータに吸い込まれた。
二階なのですぐである。
部屋に入ると、女は急に馴れ馴れしくなって、いきなりに吸い付いてきた。
さっきの麻婆豆腐と酒に隠れて、タバコのにおいがかすかにした。
飢えた男にはこんながさつな女でも欲情するものなのだ。
「うは~」
と息をついて、女が離れた。
「兄さん、名前なんていうの?」
「カイジ(海司)」
「あたし、サクラ」
たぶん偽名というか源氏名だろうけど。
「カイジ君、今日はどうもありがと」
そういって、首に手をまわして抱き付き、鼻の頭にキスをし、そのままバスルームに消えた。

(続く)