「ゴメンね。恨まないでね。」彼女は小走りに手を振りながら、
人ゴミに消えてしまいました。必死に冷静さを保ち、
この状況を判断してみて、「あ?、やってもうたぁー」と気付いた時には、
怖いお兄さん2人組がダイムラーで目の前に横付されておられました。
「ちょっと、ドライブしよかぁ!」とケツを蹴られながら車に押し込められました。
知合いのクラブに顔出した時、マスターに紹介された彼女から
「高級DCの仕事がしたい」と頼まれ、顔見知りの紹介だったので、
確認を怠り、その場で連絡先を教えました。
数日後、彼女から「実はカレシにバレちゃって相当、怒ってるの。」と
連絡が入った時点でも、まだ気付かずに、相談したいと言う彼女の指定する
待合せ場所までアホ面さげて出向いたお馬鹿な俺でした…。
「やってしもた事を責めるつもりは、無いんやぁ?」とご丁寧な対応でした。
「儲けとるらしーいのぉ?、ケツモチなしでぇ?、え?」と
太腿に少し強めのマッサージをしながら、話し掛けてくれました。
強引に車から降ろされた場所は、意外にも彼女を紹介されたクラブでした。
マスターは右の目尻が腫れていました。連れてこられた俺を見ると
申し訳なさそうに、こちらを気にしているので、手を上げて挨拶しました。
「なにぃ、余裕コイとんじゃあ!」と背中にキツイの一発、頂きました。

いつもいつも、上手くやってこれた訳ではありません。
過去、トチリも確かにありましたが、こんなイージーミスで
絶体絶命になるとは、我ながら情けない思いで一杯でした。
(どーやって切り抜けよーかな…。)とそればかり考えましたが、
名案が浮かぶ訳でもなく、知合いの本業の方に連絡するのも
事情が事情だけに恥かしく、困り果てていました。
「月、幾らぐらいかな?」こういう、ご職業の方に主語は存在しません。
要はケツモチ(守代)として毎月幾ら入金するのか?という質問です。
フロアに正座させられたまま、返答に困り果てていた時、
その人はもの凄い勢いで登場しました。
「おーい!●●ちゃん!まだ、開けとらんのかぁ??」と入って来たのは、
女の子2人連れのスキンヘッドで和装に金縁眼鏡のオッサンでした。
そのオッサンは俺等を見るなり、大笑いしながら
「ココは説教する所と、ちゃいませぇー。」と近寄ってきました。
「お疲れさんっす。」と本職の2人がオッサンに挨拶した瞬間!
俺は固まりました。最悪や、親分が来てもうたぁ!
もう、アカンなコリャ。と諦めモードに入って俯きました。
しかし、親分の口から出てきた言葉は意外なものでした。
「ほお?ぉ?お前、面白いな。一緒に飲もかぁ!」と
俺を立たせてソファーに座らせてくれました。

「和尚さーん。簡便して下さいよ。」と本職2人が擦り寄って来ました。
(ん?・・・おしょう?????)全然、状況が把握できない俺の横で
「君ら、ワシのツレに何か用?」と言いながら、ハゲは大声で笑いました。
「何道行くが、慈悲の心を忘れる否。」と更にハゲが履き捨て言うと
まるで魔法にかかった様に本職さん2人は会釈して帰って行きました。
呆気に取られた俺は取りあえず「親分さん。ありがとうございました。」と
ソファーに頭をつけてお礼を言い逃げる様に席を立ちました。
「だ・だれが、親分やねん!!まぁ、座りーなぁ。」と言うと名刺を出しました。
ん?ん??ぬん・・・???”住職  ●● 頌栄”ハゲは本当に坊主でした。
続けて繁々と俺を見ると涼しい顔で俺の左肩に手を置きながら
「お前、何故、そこまで人様の邪念を背負っとる?苦しかろぉ?」
この言葉を聞いた途端に不覚ながら、本気で涙が出てきました。
「字は読めるな?名刺に住所が書いてるやろ、明日、来なさい。」と
俺の肩をポンポンと2回叩き、暇そうにしていた女の子とジャレ合い始めました。
翌日、散々悩んだ挙句、和尚に電話しました。
無信仰で冒涜の人生を歩んできた俺は正直、神懸り的な話が嫌いでした。
それでも、昨日の和尚の言葉が忘れられずに訪ねて行きました。

「お前、どうせ長い話は聞かんのやろ?結論から言うぞ。」と
説法が始まりました。その時、言われた内容は以下のとおりです。

一、永きにわたる悪行により、人としては死ねぬ、覚悟せよ。
一、よって、今更の清身改心は不可能と思え。
一、ならば、責めて、その生く道を貫け。
一、但し、今後、自ら他人様とは関るな。
一、糾うがお前の臭気を嗅ぎつけ、囚われし者がいつも現れる。
一、現れたが邪気に囚われし者を一人でも多く、お前のヤリ方で救え。
一、この先、志無くとも、償いの業として優心を秘め生きてゆけ。
一、子は諦めろ。お前の貯め込んだ邪念を継承し行く末、不幸なるは明白。

当時は難解過ぎて、ただ頷いて聞き入るしかありませんでした。
人としては死ねない。子供は諦めろ…無茶苦茶言うなよハゲ!と思いました。
その日から”豪傑、頌栄和尚”が他界されるまでの約3年半、
事ある毎に連絡が来て夜間説法という名の乱痴気騒ぎに連れ出されました。
会う度に「イイ顔になって来とるな。まだまだ、やけどなぁ。」と
心から気に掛けてくれた和尚の教えは今も全て守っています。
和尚は、俺には勿体無いと決して御仏の心などは説法に出さず、
かつ、俺の生き方も否定せずに、”存在価値”を分り易く説いてくれた人です。
これが、”人を傷つける”から”人を傷つけない”生き方の方向転換をした話です。
因みに、今も無信仰ですが。