激長文ですまんが、よろすこ頼む。じゃ、投下。
----
かれこれ、10年位前の事。

小さい頃から外国に行くのが夢で、19の時にアメリカに留学する事になった。
そして、初来日の時・・・事件は起きた。
空港に付き、留学先の大学を下見しようと、バスに乗ったのは良かったが、
長旅の疲れかバスの中で居眠りをしてしまい、起きた時には全く見知らぬ地。
慌てふためき、次の停留所で下車したのは良かったものの、右も左も判らない。
人に道を聞いてみても、全然判らない。仕方がないので、近場のモーテルで、
その場を凌ぐ事にした。

しかし数日同じ様に人に尋ねてみても状況は変わらず、
特に自分の懐は1,2日分の食費位しか無いほどの危機的状況だった。
(近くに銀行とか全く見当たらなかったんで、お金を下ろそうにも下ろせなかった)
もう気分的には最悪で、「このまま死んでしまうんじゃないかと」と思い、
夕暮れ公園のベンチで落ち込んでいたときに、日本語で、
「君、日本人?どうしたの?」と白人の中年男性が声を掛けてきたので、

「いや、実は・・・、という訳で迷い人なんです。」と必死に彼に訴えた。
そうすると、「じゃぁ、今日は家に来る?」と言うじゃないですか!
正に渡りに船。遠慮なくその男性の家にお邪魔する事に。
私達が家について来た時に、男性が彼の奥さんに事情を説明すると、
少し困惑気味でしたが、快く出迎えてくれました。

そして夕食を採りながら、私が「実は○○という学校に入学する事に
なっていたんですが、道に迷ってこの様ですよ。(苦笑)」と言うと、
彼は驚いて「なんだ、私はその学校の日本語教師だよ!それなら、
こっちに居る間は、私の家に住むといいよ」と申し出てくれた。

ちなみに、彼(ラリー・仮名)と、奥さん(マリーン・仮名)は、
日本で知り合いそして結婚したらしく、特にラリーは日本に深い思い入れがあった。
私がこの時、「ラリー、見知らぬ異邦人の私に何故そこまでしてくれるのか?」と、
尋ねてみた、そうすると彼は、「小さい頃、私が非常に高い発熱をして、
親が医者に見てもらおうとしたが、その時、一人の日本人医師が家にやってきた。
恐らく、母親が家の中で慌てていた様子が見えていたのだろう。
そして彼が私を診療し、彼が持っていた薬を母に手渡すと、何事もなかったように、
彼は家を出て行った。何も受け取らずにね。正に神のお導きとしか言い様がない。
後日、その医者に会ったんだが、私は彼にどうしてもお礼がしたいと言ったんだが、
彼は何て言ったと思う?「私は既にこの国から、多くの恩を受けた。
だから恩返しをしただけに過ぎない。もしも、君が私にお礼をしたいなら、
君が優しく立派な大人になって、人々に恩を返してくれれば私は嬉しい」とね。
だから、彼の私は日本を好きになったし、そして特に日本人に恩返しをしないと
思っているだけだから、君が余計な心配や重圧を感じる必要はないよ」と。

しかし、そこまで甘えるのも気が引けたので、「流石に・・・」と
断ろうとすると、夫妻は「なら、うちの子供達に日本語を教えてくれないか?」
と、簡単な日本語家庭教師をする事を条件に部屋を貸してくれる事に。
で、ラリー&マリーン夫妻の子供、姉のオリビア(仮名)とジェフ(仮名)の二人、
年齢的には私同い歳位で、流石に日本語教師の子供達で日本語の会話では
発音の形式は変だったけど、意味合い的には大体問題なく話せた。
逆に、この姉弟に英語の勉強をさせてもらったりしてたし。
ただ、しっかりと日本語の仕事もしたし、それ以外にも日本の歴史や文化とかも
細かく教えてたり・・・というか、家族一斉で聞いてくるから、
こっちも日本について勉強せざるをえなかった部分もあるけど。

そしてオリビアは腐女子、ジェフは日本のゲームオタクってな具合で、
ちなみに私もヲタなんで、言語の壁を乗り越えて即行、意気投合。
そんなこんなで、短時間で家族みたいに仲の良い関係に。

向こうの家族には本当に世話になって、家族旅行とかも一緒に行ってたりした。
ただ、甘え放しも嫌だったから、旅行代とか出そうとすると、こ夫妻、特に
マリーンは「あなたは私達の子供と同じなんだから気にする事はないと」言って、
受け取って貰えなかった。

そんなこんなで楽しく思い出深い留学も、残すところ後僅かといった時に、
一家にある不幸な事件が起きた。というのも、ラリーの車が盗まれたんだけど、
私の為に、多少無理して旅行とかアメリカ各地を紹介してくれたりしていた為に、
あまり家計に余裕がなかったみたいだった。

私は常々、散々世話になった一家に恩返しだけはしないといけないと思っていた。
そこで、同じ学校にいた日本人の後輩に頼んで、彼の親の勤め先である
日系の自動車会社から、アメリカにいる間アルバイトをして貯めていた
貯金を全額はたいて新しく自動車を買って、ラリーにプレゼントしたんだ。

ただ、始めは夫妻は受け取ろうとせず、「何故こんな事を?」みたいな事を
言ってきたので、私は「ラリーとマリー、頼むから聞いて欲しい。
貴方達は、見知らぬ異邦人の私の事を「自分達の子供」だと言ってくれた、
もしも「親」が困っているなら、「子供」の私が助けるのは当然の事だと思う。
だから是非受け取って欲しい、そうでなければ私の感謝の気持ちは収まらない」と。

そういったら、突然マリーンが私の事を抱きしめ、次にラリーが抱きしめてきた。
そして二人が感極まって、泣き出す泣き出す。ちょっぴり悪い事したかなと後悔もした。
オリビアもジェフも泣いていたし、その後二人とも抱き合ったし。
後々、ジェフが「不躾だけど、お金大丈夫かい?」と聞いてきたので、とりあえず
「まぁ、働けば金なんて、なんとかなるさ」と、背伸びをして答えたりもしてました。

そして、日本に帰国の時。
家族全員で空港まで見送りに着てもらい、別れ際には抱き合って泣いた。
本当に思い出深い留学となりました。
今でもラリー一家とは仲良く頻繁に連絡とってます。まぁ、殆どメールだけどね。

その後について。

ラリーは相変わらず日本語教師として教壇に立っているとの事。
プレゼントした車は今でも愛用しており、もう走行距離20万km超えてるらしい。

奥さんのマリーンは、あれから日本食にすっかり嵌り、私が教えた料理以外に
本格的に日本の家庭料理とかを、日本人の先生に習ったらしく、
私の帰国後から、体重が10kg痩せたとの事です。

弟のジェフは、日系企業の通訳として就職。仕事はバリバリやっているらしい。
日本人の嫁さん貰うのが目標だとか、でも相手すら出来ないと嘆いていましたが。

実は当時からオリビアとは付き合っていて、翌年彼女が来日、さらに翌年結婚しました。
こうして日米共同オタ夫婦が完成、今でも結構、聖地秋葉巡りもしてますが。
ちなみに、子供も2人出来まして、夫婦で二代目ハーフのヲタを作る事が目標。

そして去年は、長期休暇が取れたのでラリー夫妻&ジェフを呼び関東近県の
観光地巡りとかして日本を堪能してもらったりしてました。
私達夫妻の様子見や、うちの両親とか会ったりとかもしてたし。

なんか、グデグデな話ですいません。以上です。