「おじいちゃん!AKBのおはなし、聞かせて!」
毎年、夏になると私たちの家を訪ねてくる孫の、元気な声。
物心ついて以来、すっかり劇場で歌い踊る少女たちの虜になっている。
私は夏がくるたびに、毎年同じような昔話を繰り返しては、苦笑する。
(私もすっかり年をとった・・・分かっていても同じ話をしてしまうのだから)
それでも、私の昔話を身を乗り出して聞いている孫娘は、
いつでも瞳をきらきらさせながら、笑顔を見せてくれるのだ。
「AKBが初めて公演したとき、お客さんはメンバーよりも少なかったそうだよ」
孫娘が一番喜ぶのが、AKBの本当のスタートの話だ。
もちろん私自身はその場に居た訳ではない。
それでも、今もなお日本のトップアイドルの座を守り続けるグループの、
現在では想像もつかないスタートラインの話をしてあげると、
孫はどんなお伽話を聞かされるよりも心踊らされるようなのだ。

「初めての公演から2?3年はね、おじいちゃんも詳しくは知らないんだよ」
不服そうな孫娘は、ほっぺたを膨らませて私のほうを見つめてくる。
私が初めて妻と出会ったときに見たような、純粋でまっすぐな眼差しだ。
そんな私と孫娘のやりとりを見ながら、来年喜寿を迎える妻が微笑んでいる。
「またおんなじ話の繰り返しなのね、二人とも」
「だっておじいちゃんのお話、すっごく楽しいんだもん!」
楽しそうな孫娘は、立ち上がりダンスの真似事をしながら妻の周りをくるくる回る。
「あぁ!またAKBの公演見に行きたい!行きたい!」
駄々をこねるように何度も私におねだりをしてくる孫を見ていると、
私もかつて劇場に通いつめていた頃を思い出し、懐かしさがこみ上げてくる。

2008年、遅ればせながらAKB48の魅力にとり憑かれてしまった私は、
それこそAKB48を見るために仕事を頑張るという日々であった。
劇場にいつでも通えるように勤め先を変えたほどだ。
妻には当時、心底呆れられたが、全く後悔はしていない。
あの頃のメンバーの名前は今でもすべてフルネームで覚えている。
ステージできらきら輝く少女たちのひたむきさは、私自身の勇気にもなり、
日々を過ごしていく活力になったものだ。

その後、AKB48は全国的な一大ムーブメントを起こし、メディアを席巻していった。
現在も毎年行われている「選抜総選挙」の第一回が行われたのもあの頃だ。
もちろん私も推しメンに入れ込んでおり、可能な限り応援したいと随分無理をした。
AKB48を応援しつづけてきた私ではあるが、グループにとっては逆境も幾度となくあった。
一時のブームがピークを迎えると、同時に批判的な見方をされるのは自然の流れだった。
メンバーの発言ひとつでインターネット上では何度も炎上という名の抗議活動が起き、
人気によって左右されるメンバーの扱いの差も批判の対象になっていた。
だが、AKB48は、決して揺らぐことはなかった。

全盛期には全てのテレビ局で冠番組を持ったものの、すぐに視聴率は落ち込み、
メディア露出も極めて少なくなった時期があった。
人気メンバーの相次ぐ卒業というのも大きな打撃を与えた。
新陳代謝の激しいグループは、競争という名のぎくしゃくとした緊張関係で、
もはや続けていく姿を見るのが辛くなるような状況に陥ったりもしていた。
しかしその都度、メンバーたちの目指すところはひとつだった。
だからこそこのグループは数十年経った今でも、あらゆる世代からの絶大な支持を受け、
私の孫娘の憧れの対象になり続けることが出来ているのである。
その「メンバーたちの目指すところ」とはただひとつ。
「AKB48劇場での公演の成功」である。

どれほどテレビや雑誌の仕事が多くても彼女たちの立ち位置は不変であった。
その確固たる信念は、今年二十一回忌を迎える元プロデューサーの手腕があったためだ。
彼の揺ぎ無い自信は、傷つき、迷い、立ち止まる少女たちを常に正しく導いていた。
メンバーが二十名を切りそうになった2020年代にも、決して妥協を許さなかった。
最も大きな掟である「恋愛禁止」は現在も厳然と存在しており、
サポートしてくれるファンとメンバーとの、血よりも濃い繋がりの礎となっている。

「おじいちゃん!お姉ちゃんが会いに来たよ?」
感慨にふけっていた私に、孫娘の優子が耳もとで楽しそうに体を揺らして話しかける。
そうだ、今日はもう一人の孫、15歳になる友美が久しぶりに来ると言っていた。
最近は部活動に忙しく、なかなか夏休みにも会いにこれなかったが、
こうやって顔を見せてくれるのはやはり嬉しいものだ。
「おじいちゃん!ひさしぶり!元気にしてた?おばあちゃんも!」
相変わらず元気な友美がひょっこり顔をのぞかせて笑顔を見せる。
やはりこの子もおばあちゃん似だ。
くりくりとした瞳が愛らしい。
「今日はね、おじいちゃんとおばあちゃんにお話しにきたんだ!」
元気いっぱいの友美には珍しく、私の側に正座した。

「私ね、AKB48の研究生オーディション・・・合格しました!」
溢れでてくる喜びを抑えようとするが、どうにも我慢出来ないようににこにことしている。
「ほんとう?いつオーディションなんて受けていたのよ?」
妻が真っ先に反応した。
「先月から何度か面接とダンスを見てもらっていたの。で、夕べ支配人さんからね」
妻は友美と私の顔を何度も往復するように見つめながら、心配そうな顔をしている。
「おねーちゃんずるい!優子も受ける!優子も入る!AKB!」
優子が駄々をこね始めた。
そんな様子を少しあきれながら眺めながら、妻が友美の横に座った。
「あなた、本当に頑張っていけるの?とっても大変なことなんだよ?」
「・・・私、ずっと決めてたの。絶対AKB48のメンバーになるって。これがその第一歩なの」
友美はまっすぐ妻を見てそう言った。
今まで見てきた孫の可愛らしい姿とは全く違う、凄みさえ感じる口調だった。
「もし入ったら、いろんなことを我慢しなくてはいけないよ?
 普通にお買い物に行ったり、友だちと遊んだり、家でごろごろしたり、
 友美が今、普通に過ごしていることは全部あきらめなきゃいけない」
諭すように、ゆっくりと妻は友美に語りかけている。
「それでもいい。今はまだわかってないかも知れない。
 これから辛いことがあることも、不安だけど・・・でも私はあのステージに立ちたいの!」

まっすぐな瞳をのぞきこむように、真剣な表情を崩さなかった妻だったが、
ふっ、と根負けしたように肩をすくめると、友美を抱きしめた。
髪をなでながら耳もとで優しくこう言った。
「友美ならきっと大丈夫、本当に辛いけど、がんばるのよ?」
二人が分かち合えた瞬間だったのかも知れない。
私と優子は、ただそのやりとりを、場違いな気もするが手を繋ぎながら黙って見ていた。

手元の電話機がふいに音を立てる。
いつもはすぐに電話を取るのは妻だが、二人のやりとりに圧倒されていた私が電話を取った。
「はい、佐竹でございます」
電話口から騒々しいオフィスの喧騒が漏れ伝わってきた。
「佐竹さんでいらっしゃいますか!わたくし、週刊○○編集部の森と申します!」
興奮したようなその男性は、私の反応を伺う様子もなく、まくし立てた。
「お孫さんの研究生合格、おめでとうございます!快挙です!」
近頃、すこし遠くなったかなと感じていた私の耳の奥に響くような大声だ。

「ちなみに今、奥様は?」
何度となく対応してきた私ではあるが、一応妻に目配せをする。
苦笑しながら両手で小さく×サインを送る妻。
「取材等は基本的にすべてお断りしていますので、申し訳ありませんが」
森編集者も半ば諦めていたように、こちらにも分かるように深い溜息をついた。
「そうですね、わかりました。ではくれぐれも奥様にもよろしくお伝え下さい」
私もていねいにあいさつをして電話を切りかけると、言い忘れたように森編集者が、
「最後に、初の3世代に渡るAKB48メンバーの誕生、本当におめでとうございます!」

そう、私の妻もかつて、日本中を夢中にさせたAKB48のメンバーだった。
出会いは突然だった。
2010年夏、私はAKB劇場通いをするために、警備会社の早朝勤務を自ら買って出ていた。
その日は都内のあるデパートの警備を担当していたが、朝7時半に上司から連絡があった。
「一般客との接触を避けるため、本日8時に従業員通用口からゲストをお迎えするように」
時折そういった対応をすることで、そのデパートでは売上を伸ばしていた。
私自身も芸能人や有名人は見慣れていたので、別段意識せずにゲストの到着を待った。
30分ほど経った頃、白く大きなワンボックスカーが通用口に横付けされた。
そこからマネージャーとおぼしき男性と降りてきたのは、私の心の支えとなっていた女性。
AKB48に夢中になってから一度たりとも変わらない推しメン、前田敦子だった。

私はその姿を見た瞬間、立ったまま気絶したと思った。
おそらく一瞬ではあるが気絶したと思う。
それほどの衝撃であった。