あまり、愉快な話ではありませんが、書いておこうと思い立ちまして

私・・・24才
元妻・・・24才
元妻の妹・・・16才
元妻の弟・・・13才
元妻の母親・・・38才
元妻の浮気相手・・・30代後半

私が結婚したのは20才の時でした。
母は早くに亡くなり、父、兄、姉との4人暮らし。祖父からの遺産もあり、父も成功した人間でしたので、裕福な暮らしだったと思います。
20才の時、父の癌が発覚しました。かなり進行しており、助かる見込みが少なかった父はホスピスで余生を過ごす選択をし、遺産で争わないように生前分与をしてくれることになったのですが、兄と姉はすでに働いておりとても稼いでいたので、父の趣味だった車を兄が、日本刀のコレクションを姉が受け継ぎ、それ以外の預貯金や不動産は私に使えと分配してくれました。
兄は外資の証券会社に就職しており、姉は弁護士になったので、お金に執着はなかったようです。
立派な父と兄と姉に囲まれ育ち、体格は180を超える身長になりましたが、頭の育ちは良くありませんでした。けれど、コンプレックスがあったわけでもありません。
姉は大学と司法試験の準備で忙しかったはずですが、私の食事や身の回りの世話を母の代わりにしてくれ、兄は父の代わりに授業参観や運動会に来てくれました。
父も忙しい人間でしたが、たまに帰宅するとまっさきに抱きしめてくれ、近況や学校のことを聞いてくれ、年に一度あるぐらいの連休には旅行や釣りやキャンプに連れていってくれましたので、感謝はあれネガティブな感情は抱きませんでした。

東京に出てきたのは、高校生時代にアルバイトしていたケーキ屋さんの紹介でかなり高名なパティシエを紹介してもらい、専門学校に行きながら修業をしておりました。
父が亡くなり、しばらくして、パーティのケーキ作りを依頼され、納入に行った先で、担当をしていた女性と会話が弾み、それから付き合うようになったのが元妻です。
彼女は福島の高校を出たあと、学校の推薦枠で就職し、東京に配属されたとのことでした。父親との折り合いが悪いようで、あまり家族の話しをしたがりませんでした。

給料は私が手取りで18万円程度、彼女は30万円以上貰っておりましたので、同棲を始めすぐに結婚をする話が出た時に、私が主夫をし、彼女が働くということになりました。
結婚のご挨拶に彼女の実家に伺った時は、あまり愉快な対応をされませんでした。
彼女の父親は、私をヒモと罵り娘である彼女を罵り続けたような人でした。
幸い、彼女の母親と妹と弟は歓迎をしてくれ、私の兄や姉と友人や仕事仲間を招き、結婚式をあげました。

幸せでした。とても幸せでしたが、結婚生活は長くはもちませんでした。

彼女の浮気が発覚したのは、結婚して1年近く過ぎた頃でした。帰宅が遅くなり、夫婦としての生活時間が少なくなり、私を見下す発言が増え、メールの誤配信から発覚。よく笑っていた彼女は誤魔化すどころか、私を彼女の父親がそうだったようにヒモと罵り、結婚生活は終わりました。彼女の浮気相手は同じ会社のエリート社員で、一緒に働くうちにそういう関係になったそうです。
不思議なくらい怒りはありませんでした。彼女の白い肌や、目元の黒子、笑顔を思い出し、ただ悲しくなりました。慰謝料の請求を弁護士さんに薦められ、彼女の母親からも謝罪がありましたが、慰謝料も必要ないと断り、地元である大阪に戻ってきました。
最後に会った日に小さな声で「ごめんなさい」と言われ、彼女のことは、私の中で妻から元妻になり、思い出のひとつになりました。

生活には困りませんでした。父が残してくれたマンションに住み、預金もたくさんあり、家賃収入や株式の配当もありましたし、昔アルバイトをしていたケーキ屋さんはパティシエとして週に4日雇ってくれ、手取りで20万と少しの給料をくれたからです。
本を読み、ケーキやクッキーを作り、たまに贅沢な食事をし、スポーツクラブで汗を流し、週に一度風俗に通い暮らしていました。
兄は飛行機のファーストクラスのチケットを送りつけてきて、ニューヨークまで私を呼び、まあ色々あるよと笑い世界一といわれるステーキを奢ってくれました
姉は馬鹿ねーといい、忙しいはずなのに私を父との思い出がある場所へ、一緒に旅行してくれました。
そんな生活に変化が訪れたのは今年の大震災が起こってからでした。
関西での影響は限定的でしたが、東京の友人や仕事でお世話になった方に、必要な物資を送り、空いていた所有しているマンションの部屋を無料で貸し出し避難させ、仕事先の紹介を父のツテでしておりました。
5月5日だったと思います。友人であった弁護士から電話がありました。彼はためらいがちに、元妻から連絡をとりたいと頼まれたと切りだしました。
正直、とても戸惑いましたが彼女の勤務先や実家のことが頭に浮かび、少し悩みましたが、元妻に電話番号を教えて下さいと伝えました。

数日後、大阪で会いたいと元妻から連絡があり、関西空港のホテルにあるラウンジで会いました。元妻は名字が変わっており、その名字は彼女が浮気していた男性のものでした。彼女は美しくなっていました。手入れがいき届いた髪や肌、高価そうな服やアクセサリーで身をかためていましたが、少しやつれ疲れているようでした。
天気や近況をポツリ、ポツリと話したあと、彼女は助けてほしいと消え入るような声で切りだしました。

彼女が勤めているのは、皆さんがご存じの電力会社です。すさまじい批判にさらされているあの企業です。元妻は再婚しておりましたが、働いており、裕福な暮らしだったそうですが、思わぬ事故で収入が減り、買ったばかりの土地付き一戸建てや車のローンが払えず、昨年産んだばかりの息子の預け先もままならないと訴えました。
さらに、実家が被災し父親が亡くなり、母と妹と弟のいく先がないと続けました。
かすかに震えながら、白い肌を青ざめさせながら語りました。

「私にそんな甲斐性はありません」と伝えたのですが、共通の友人から、私が父の遺産を継いでいることを知っていたようで、お願いしますと何度も頼んできました。
同情はしましたが、もう関係のない人の世話は出来ないと伝え、ATMでおろせる限度額いっぱいの金額の紙幣を封筒に入れ、彼女に渡し、連絡はしないでほしいと言いその場を去りました。

その日はそれでおさまったのですが、彼女は毎週末になると大阪に来て、援助を申し込みにきました。いままでは無制限にお金を貸してくれた銀行でさえ、貸し渋るようになっていたようです。
6月の4日だったと思います。さすがにうんざりして、いつものホテルの喫茶室でこれから風俗に行くから邪魔をしないでくれと、元妻に伝えました。ここまで言えば諦めて帰るだろうと思ったのですが、彼女の反応は想像もできないものでした。

「私があなたの性欲を処理しますからお金を貸して下さい」と真っ青な顔で言ってきました。

当然、拒否しましたが、お願いします何度も懇願され、空いていたホテルの部屋に入りました。彼女はすぐにシャワーを浴び、バスローブ姿で出てきて、震えながらお願いします、抱いて下さいと懇願しました。
人として最低ですが、私は興奮しました。数年ぶりに見る元妻の全裸は、出産をした影響か胸が大きくなり、大きく張り出した腰にみとれました。
透き通るような白い肌とくびれた腰、羞恥で真っ赤になった小さな顔と目じりにためた涙に我慢ができなくなりました。

性欲はかなり強い方で、週に一度の風俗では3人を相手に10回程度は出さないとおさまりがつきません。私のものは勃起するとサイズが大きくなり、20センチを超え、カリの部分が大きい為に、風俗でも慣れている方以外は歓迎されません。
元妻も同棲をを始めたころは、処女だった為に痛みを訴えていました。
まだ母乳が出る胸や、敏感な反応を示す彼女に何度も何度も出しました。中には出しませんでしたが、スキンは使用しませんでした。
6時間近く抱き、彼女の体をまるでモノのように扱い、性欲をぶつけました。
フェラチオではいつもえずいていた元妻は私のものを喉奥まで咥え、絶対に拒否していた精液を飲みこむことをすすんでしました。彼女が再婚していること、子どもがいることを吹き出る母乳で思い出しましたが、いっそう興奮するだけでした。

ぐったりとしていた彼女ですが、起き上がりスマートフォンで連絡をし、今日はこちらに泊まると言っていました。それから、ホテルで朝まで過ごしました。何回したのか覚えてはいません。初めて聞く元妻の叫ぶような喘ぎ声、初めて見る痴態に、自分自身が困惑するぐらいに満足しました。
朝になり、一緒に風呂に入り、食事をとり、援助する金額と会う日程を決めました。

・週に1度週末、彼女が大阪にきて私と一泊をすること。
・援助金額は風俗に使っていた金額と交通費と借金の肩代わりする。
・暴力をふるわない、傷を残したりしない限り何をしてもいい。

細かい取り決めはありましたが、大枠はこんなところです。再婚した相手には、知人に援助して貰う代わりに、仕事を手伝うと伝えているようです。
それからは、遠慮なく元妻を抱いています。風俗と同じで様々なことを要求して、実行させています。
最初は嫌がっていた中だしやアナルを舐めさせる行為。小便を飲ませたり、再婚相手と電話をさせながらのセックス。おもちゃの使用やアナルセックス。野外や商業施設や映画館でも交わりました。元妻がもっとも拒否していたのはキスでした。風俗でもそうですが、キスは拒否されることが多い。元妻が自分からキスをねだってきた時は、これまでに感じたことのない征服感というのでしょうか・・・そういう感情を持ちました。

彼女が漏らすほど感じるのが、テラスに出てのセックスです。マンションの最上階という私の住む部屋には、狭いながらもテラスがあります。そこで全裸になり、立ったまま後ろからゆっくりと抜き差しすると、彼女は必死に声を堪えながら受け止めます。
身長差が30センチ近くあるので、突いた時は彼女の足が浮き、我慢しきれなくなった嬌声が響きます。そのまま何度も絶頂し、声も出なくなり、脱力し失禁した彼女の中に出す時は、いつもより大量に出してしまいます。

8月の末、元妻は食事の時に思いつめたような顔でお願いをしてきました。
彼女の母と妹と弟を、大阪に住まわせてくれないかということでした。東京の環境に不安があったようで、多少の情や優しくして頂いた思い出があったので了承しました。
元妻は泣きじゃくりながら、何度も謝罪を繰り返し、礼を言ってきました。

翌日、さっそく彼女の母親がやってきて、私に謝罪と感謝の気持ちを伝え、空いているマンションに案内しました。元妻の母親は紫(ゆかり)さんという名前です。初めて会った時は、元妻の姉かと思ったぐらいの若々しい容姿をしていたので驚いたのを覚えています。
謝罪と感謝を繰り返すと空気が悪くなってきたので、身の上話になりました。若々しいのではなく、本当に若いのだと、その時知りました。紫さんが結婚したのは16才の時だったそうです。お嬢様育ちだった紫さんは、両親に言われるまま、中学の時から嫁ぎ先で暮らし、夫の夜の相手もしていたそうです。結婚式を挙げたのは、元妻が産まれてから無事に大きくなりそうだと判断されてからだそうです。

翌々日、元妻の妹と弟も引っ越してきました。暗い表情でしたが、丁寧に私にお礼を言ってきて、学校にも通うようになり、少しずつ元気になってきました。
元妻の実家は旧家だったようですが、その家計はそれほど楽ではなかったようです。亡くなった父親が見栄をはり散財し、借金も少しあったようですが、払われ始めた補償金で返済したようです。
しかし、紫さん達は生活保護の対象にはなりませんでした。私が貸したマンションは月の家賃が30万以上するところだったからです。
紫さんは働いたことがなく、補償金にも不安があり、元妻の妹はアルバイトをすると言っていましたが、そうそう稼げるものではありません。

私は些少ですが、子どもたちの目に入らないように、昼間にお邪魔して紫さんにお金を渡していたのですが、9月の末に雨が降って、ずぶぬれになりシャワーを借りたのがきっかけでした。何かお礼を、服が乾くまで食事でも、せめてお茶だけでもと言っているうちに、そういう関係を持ってしまいました。
紫さんは10年近く、セックスをしていなかったそうで、勃起した私のモノを見て震えていました。元妻以上に透き通るような白い肌と、年齢を感じさせない引き締まった体、目元に小さな皺がある以外は20代にしか見えない美しい顔。
夫以外は経験がなかったそうで、フェラもほとんどしたことがないのか、ぎこちないものでした。3人も出産をしているはずなのに中は狭く、馴染み、出し入れするまでは何回かかかりました。

それから、土曜日には元妻と。それ以外の平日は紫さんと週に2度交わっています。
30代のほとんどをセックスせずに過ごした紫さんの欲望は激しく、恥じらってはいますが、元妻以上の痴態をさらしてくれます。

最近、元妻の妹と弟が紫さんと私の関係に気が付いている節があります。妹の方は感謝よ嫌悪が混じった複雑な感情を、弟の方は嫉妬と羨望の感情が、会うたびに表情に出ています。

恥知らずですが、この生活を改める気はありません。
いつまで続くか分かりませんが、お金の清算が終わるまでは続くでしょう。
恥知らずの告白をここに残しておきます。

失礼しました。