男「まだ結婚を考えるには早いけどな」

幼馴染は病弱だった。

側にいたのは僅か15年。
懐かしい日々が頭をよぎる。

些細なことで笑い合ったこと。

互いの友人同士集まって遊んだこと。

そして、彼女と結ばれた日のこと。

心臓に欠陥を持ち、生まれながらに長くは生きられないと宣告されていた幼馴染は、こちらの願いとは裏腹に、呆気なく18年という短い生涯に幕を下ろした。

急死だった。

残されたのは、悲しみに暮れる彼女の家族と、呆然と立ち尽くす憐れな男の姿だけ。

時が経ち、人間とは現金なもので、日常生活で笑えるまでには心の傷は癒え、彼女のことを想う時間も減っていった。

恋人ができた。
歳の離れた幼馴染の妹だ。

新しい恋なんて綺麗事は言わない。

昔の女に縋るなんて滑稽だと思われるかもしれないが、彼女の面影を残す妹に、他人とは思えない感情を抱いた。

妹もきっと同じなのだろう。
姉の愛した人として興味を持ち、そして私を憐れんだ。

自分を通して、今は亡き姉の面影を探る私を『可哀想』とでも思ったのだろう。

姉の代わりと納得したうえで、私に愛される道を選んだのだ。

……私は、優しい情けをかけられたのだ。

やがて結婚し、子供が出来た。

女の子だ。

はじめての孫に両家の親は過保護なくらい接した。

女の子の名前は幼馴染と同じにした。

家族には辛い名前だと思うが、「今でも大切に想ってくれるなら、あの娘と同じ名前にしてください」と、彼女の両親から頼まれたのだ。

私や妻に反対の意思はない。

それどころか、きっと溺愛してしまうだろうなと苦笑する有り様だ。

それから18年の時が過ぎ――

42歳となった私は、立派に成長した娘がもうすぐ一人立ちする日を夢見ながら、同時に恐怖した。

娘は幼馴染と瓜二つの……まるで生き写しのようだった。

いつか幼馴染の姿をした娘が、仲の良い彼氏を連れてくるのかと思うと、耐えられそうにない。

娘は不思議と異性と付き合う様子を見せなかった。

「一生結婚しないから安心して」なんて冗談を口にすることもあった。

私が跳び跳ねるくらい嬉しかったことを、娘はほんの僅かでも気づいたろうか?

顔色を隠すのは得意だ。

絶対に心の内を悟られてはいけない。

自分の娘に恋をした中年なんて……救いようがないだろ?

思えば人生の大半で恋をしていた。
君と離れて24年。
断じて邪な思いではない。

ただ、もう一度話したい。

君と同じ姿をした少女に、あの日できなかった……言えなかったことを告げてしまいたい。

胸が熱くなる。

娘は君じゃない。

言っても無駄だ。困惑させるだけだろう。

もう一度、あの日に戻れるのなら……

きっと、その願いが叶うことはない――

進学が決まった娘が、とうとう家を出ることになった。

妻は「いつまで経っても過保護ねぇ」と、私の心情など見抜いたうえで、それでも私を立ててくれる。

見捨てないでくれて、ありがとう。

それでもふと思うんだ。

妻と結婚していなければ、

幼馴染と同じ顔の娘が生まれなければ、

私はきっと全てを忘れ、新しい恋人と結ばれ、新しい人生を笑って過ごしていただろう、と。

これは呪いなのかもしれない。

死後も監視されているような、解けない呪い。

妻の満面の笑顔を見ると考えずにはいられない。

一生を縛られているのは誰なのか、と。

娘が家を出る日がきた。

娘「ねえ、男」

娘が私の名前を呼ぶ。
はじめてのことだ。

娘「もう、平気?」

言っている意味がわからない。

娘「ずっと辛そうだから」

男「そんなことないさ」

娘「私といて……幸せだった?」

男「……ああ。当然だ」

娘「そう」

娘「……急にいなくなって……ごめんね」

男「……いいさ。大学、楽しめよ?」

娘「……ずっと苦しんでいたんだね」

男「……?」

娘「私を想って……」

男「!?」

違和感が確信に変わっていく。

娘「「「いつか結婚しようね、私たち」」

娘「そう言うと貴方は、恥ずかしそうに「まだ結婚を考えるには早いけどな」と流していたね」

男「な……っ!」

覚えている。

忘れるはずがない。

だってそれは、彼女が亡くなった日のやり取り。

そして、私の後悔の証。

男「……幼馴染……なのか?」

娘(幼)「うん。久しぶり」

男「「……変わらないな、幼は」」

声が震える。

幼「男は……うん、かなり老けたね」

昔と同じ微笑み。

男「ああ。お前がいないから、こんなおじさんになっちまったよ」

幼「ごめん。でも老けても男はかっこいいよ」

男「お世辞はいい」

幼「ははっ」

夢に見た時間。
もっと気の利いたことを言え!
最後かもしれないんだ。
奇跡の時間を無駄にするな。

幼「妹を幸せにしてくれてありがとね」

男「…………」

卑怯だ。
何も言えない。

幼「いや、怒ってないから!……私こそ勝手にいなくなって、男に文句言えるような立場じゃないって」

男「……知ってんだろ?」

幼「妹が私の身代わりだって?」

男「ああ」

幼「それでもきっと、男の妹への愛は……本物だから」

男「……ああ」

幼「だから……男を解放してあげる」

男「?」

幼「いつか結婚しようね、私たち」

あの日の後悔。その再現。

そうさ。いつだって、私のそばには優しさがあった。

あの日、言いたくて
言えなかった台詞――

『ああ。結婚しよう』

男「悪いな。他に大切な奴が……できちまったらしい」

優しさは罪だ。誰も幸せにはならない。

男「だから……今生では無理みたいだ。もし……生まれ変わったら……そんな都合のいい世界があったとしたら……わた…俺と……」

男「俺と、結婚してください」

幼「はい。よろこんで」

幼馴染の満面の笑顔。その瞳からは涙が零れて――

幼「これは夢。貴方を縛っていた悪い魔女は……もうすぐ消える……」

男「いやだ!まだ……まだ行かないでくれ……」

幼「貴方は弱さを受け入れて、それでも未来を選べる人。今大切にしてるものを守って?」

幼「私に情けない顔は見せないで。ね?」

男かっこいい

幼い頃の思い出が甦る。

好きだよ、男

やれやれ
いくつになっても
かっこつけたい時があるって――

男は一生子供だ。

男「またな!」

俺は変わらない。
あの日から根本は何一つ。

バカだからな、俺は

愛に捧げる人生も……悪くない――

幼「また会えるから」

男「当然だ。俺たちは来世の夫婦なんだから」キリッ

これが、おっさんになってしまった俺の、精一杯のかっこつけ。

男「他の男と結ばれたら許さないからな!」

幼「男がそれ言う?」クスクス

男「娘も嫁にやらない!」

幼「うわ、最低の親だ」

男「俺は親バカだからな!」

幼「もう大丈夫だね」

慈愛に満ちた表情。

これが今生における最後の時間ってやつなのだろう。

奇跡のような一瞬の夢。

男「俺を誰だと思ってる!お前の未来の旦那だぜ?」

幼「ありがとう。男に出会えて、恋をして。短い人生だったけど、私は幸せでした!!」

俺というちっぽけな存在が、少しでも幼馴染の救いとなったのなら――

俺の人生は無駄なんかじゃなかった。

男「こちらこそ、ありがとう!」

虚空に向けて。

娘「父さん?泣いてるの?」

男「……長い夢を見ていたんだ。長い長い夢を」

娘「うん?」

涙を拭う。

男「母さんと久しぶりにデートでもするかなー」

娘「うわ、ずるーい!私もどっか連れてってよ?」

男「よし!3人でデートすっか!」

娘「……犯罪の香り」

守るもののある俺は、まだそちらには逝けないけれど。
胸を張って君と再会するために。
今は精一杯生きるよ。

バイバイ