<鎌倉・室町時代のセックス>

1192作ろう鎌倉幕府で有名な鎌倉時代と鎌倉幕府が滅んで再び天皇政権になった室町時代のセックスを語っていきますね。
政権を取られたので後醍醐天皇(ごだいごてんのう)はなんとかして幕府をつぶしてやろうと計画を根っていたそうで、幕府を潰す計画を知られないためにカモフラージュとして乱交パーティーを開いたそうです。

 変態すぎる天皇と将軍

毎日乱交パーティーに明け暮れてながらひそかに家臣と倒幕計画を立てていたそうですが、結局バレてしまって計画が失敗に終わったとの逸話があります。昔の天皇はやりたい放題だなと羨ましく思いますが、まさにハーレム状態を自由に築きあげることのできる最高の地位なのです。乱交パーティーとか体験してみたいですし、それを毎日とか精子がいくらあっても足りませんよね。
しかし、そんな天皇をもしのぐ権力者がいて、第3代将軍の足利義満は天皇の愛人を2人も強奪しセックス三昧だったそうです。天皇の愛人を強奪するなんて考えられない話ですが、足利義満はそれほどの権力を持っていたとのことです。
さらにこの足利義満は変態度が異常で、妻の妹とその子供を側室に迎え入れてセックスしまくりだったとのことですから、こういう三角関係のシチュエーションが好きな人にはたまらないことまでしちゃっています。

 売春婦で溢れた時代

この頃は京都に売春婦が続出していたそうで、街が遊女で溢れていたそうです。
京の街には選り取り見取りの遊女たちを求めて男が大量に押しかけていったそうですよ。選び放題だったら男だったら行かないわけないですよね。
女人禁制のお坊さんでさえ売春宿に通っていたというわけですから、それはもう魅力的な女で溢れている光景だったのでしょう。この時代にはある性病が流行ったのも有名ですね。その性病の名前は「梅毒」であり、皆さんも一度はきいたことがあるのではないでしょうか。
この性病が流行ったきかっけは、外国帰りの男が実は梅毒にかかっていて、そのまま遊女とセックスしたことから一気に流行ったと言われています。梅毒は皮膚がボロボロになって死に至るので絶対にかかりたくない性病ですね。
さて、この時代には変な宗教も出始めたりしています。セックスをすることによって魂が救われるなどの怪しい宗教にありがちなものがでてきたりしています。これが大流行したそうで、宗教の主は大勢の女とセックスすることができたそうです。めちゃくちゃ羨ましいですよね。
この宗教が江戸時代まで続くっていうんですから、何人の女が餌食となったか想像ができません。宗教主のセックスしまくりな人生はさぞかし至福の時だったんだろうなと思います。
それでは鎌倉・室町時代のセックスはここまでとして、次は戦国時代のセックスについて語っていきます。戦国時代は女性にとっては最悪な時代となってますね。


  <戦国時代のセックス>

戦国時代が好きな男性は多いですよね。
大河ドラマやゲームなどにも取り上げられているのでその人気ぶりは言わずとも分かっていると思います。
有名どころは織田信長や豊臣秀吉や徳川家康や他にもたくさんいますが、この時代のセックス事情は特殊なものが多いです。

 男色が大流行

その1つとして有名なものが男色ですね。小姓(こしょう)と呼ばれる色気のある男を大名(だいみょう)につけて男同士でセックスを堪能していたようです。
もちろんセックスですから肛門にチンコを入れるわけで、このころからホモ文化が始まったといってもいいのかもしれませんね。でも、なぜ男とセックスをするようになったかは理由があって、戦争前に女とセックスを行うことは縁起が悪いと言われていたからだそうです。
そうだとしても普通は男とはやらないだろと思いますよね。この戦国時代の中でセックス指南書を書いた男が存在していたことはご存知なかったはずです。このセックス指南書を書いた男は松永久秀という名前なんですが、結構有名な男なので知っている人も多いと思います。この松永久秀が自身のセックス体験を文献として残していて、かなり細かいところまで書いていたそうです。ぜひとも見てみたいですが、一般人は見ることはできないので残念ですね。

 女は性欲処理専用

さて、戦国時代は女性にとって最悪な時代と言われてまして、お姫様など身分の高い女にも権限がなく政略結婚の駒としか考えられていなかったそうで、自分の意思なんて全く考えられていなかったそうです。ましてや嫁ぎ先の同盟国と決裂された日には問答無用で処刑されたりしていたそうです。
身分の低い女はもっと悲惨で、合戦が始まると休憩タイムに本陣周辺の農民の妻や娘を強奪して、集団レイプしていたそうです。抵抗すると切り捨てたりして残酷だったそうですよ。これでは農民たちによる一揆が起こってもしかたがないですよね。そのため、戦国時代後半に差し掛かると御陣女郎(ごじんじょろう)と呼ばれる今でいう慰安婦が設置されるようになって、性処理はそこで補っていたそうです。
この時代の女はセックス用の物として扱われていたことがわかったと思いますが、戦国時代には女の武将も存在しているので、全ての女性ではなく、腕力がない女性などが対象だったというわけなんです。でも女武将ももしかしたらレイプとかされてたりしてるかもしれませんね。よっぽどゴリラみたいな女性じゃない限りはその可能性は高いです。
戦国時代のセックスについてはここまでとして、次は皆大好き江戸時代のセックスについて語っていこうと思います。江戸時代にはハーレム集団である大奥や超有名な風俗街である吉原がでてきますよ。


  <江戸時代のセックス>

江戸時代は徳川幕府で有名ですが、関ヶ原の合戦など色々と熱いことが起きてますね。
なんと江戸時代にも男色文化は健在であり、3代将軍の徳川家光がホモだったといわれています。
男でしかチンコが勃たないのでめちゃくちゃ問題視されていたようで、跡継ぎが生まれなくなるため無理やり女と混じらわせて女体に興味を持ってもらったそうです。

 まさにハーレム!大奥の誕生

女体に興味をもった家光に対し、子孫を残すことを目的として大奥を構築するんですが、この大奥がいわゆるハーレムシステムで大奥に所属している女達を選び放題だったそうです。
好みの女がいたら指名してセックス三昧だったようで子供ができるまで中出しし放題という羨ましいかぎりです。
この大奥には色々事件があって、目安箱で有名な8代将軍徳川吉宗が幕府の貧乏さに懸念を感じて、節約のために人件費や服の代金に莫大な金がかかっている大奥に目を付けて、大奥の中にいる美女50人を首にしたそうです。
なんで美女を首にしたのかというと美女なら城からでても男に恵まれるけどブスはそうもいかんからだそうです。なんかかっこいいですよね。大奥システムは13代将軍まであったので色んな美人が日本中から集まっていたでしょう。

 その名は吉原

では、続いて吉原について語っていきましょう。
風俗のイメージが強い吉原は現代も風俗街として存在しており、江戸時代から数えると400年近くの歴史があります。
最初に開業したときは昼のみの営業だったそうで、大名や豪商が遊女の元にセックスしにきていたそうです。
吉原にも独自のシステムがあって、遊女にはランク付けされていました。一番高いランクが「太夫(だゆう)」といわれ容姿・教養・諸芸に秀でた人しかなれなかったそうです。当時吉原で働く遊女約3000人の中で1人しかなれないため、大名などの位の高い人しかセックスができず、一般男性はセックスをすることができなかったそうです。
このころには臭いにも敏感になっており、香袋が遊女の中で流行っていたそうで、妖艶な匂いにやられる男があとを絶たなかったそうです。
また、江戸時代には春画(しゅんが)と呼ばれる今でゆうエロ本が出始めたころでもあり、女に縁のない人達はこぞって春画を買ってオナニー三昧だったようです。妻に隠れて春画を見る人も続出したようでちょっとした社会現象になったようですね。
春画をみていた男達に今のエロ本をみせたらどういう反応を見せるか見てみたいです。恐らく興奮しすぎて失神するのではと予想します。今のエロ本のクオリティは凄いですからね。
それでは江戸時代のセックスについてはここまでとしましょう。


   
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