私が中3のときの塾講師だった大学生に一目惚れして、高校になってから告白してお付き合いしました。その彼が後の夫です。高1の夏、処女を捧げました。痛くて泣いた私を、夫は優しく抱きしめてくれました。でも、夫は、2年付き合った後、大学を卒業して他の街にいってしまいました。

 私は隣の県の大学に進学し、1年の夏休みにバイト先の44歳の単身赴任のおじさんと不倫していました。おじさんは、大学生だった夫とは比べ物にならない快感を私にくれました。イクまで止めないクンニや、挿入後はイキかけると焦らされ、何度も「お願いですイかせて下さい。」と叫んでいました。おじさんに抱かれた後はいつもぐったりしていました。そのおじさんは、大学2年の終わりに転勤していってしまいました。

 私はおじさんの快感が忘れられず、夜の街でおじさん相手に今で言う援助交際をしていました。大学3年の11月までに、30人近いおじさんに抱かれていましたが、十分な快感を与えてくれたおじさんはいませんでした。でも、53歳のおじさんに会ってから援助交際を止めました。父より年上のそのおじさんは、ダンディで優しく、言葉巧みに私から肯定の言葉を引き出し、いつの間にかロープで縛られていました。私は、大学3年のクリスマスイブに、サンタの格好をした53歳のおじさんに、朝まで性器を弄られ、色んなモノを挿入され、最後にはおじさんのオチンチンも入れられましたが、朝方にはアナルバージンを奪われて、アナルに中出しされてしまいました。朝まで何度イかされたか分かりません。
 私は、大学卒業までの1年3ヶ月、そのおじさんに淫牝調教され、写真を撮られて雑誌に投稿されていました。当然目線は入っていました。当時、まだデジカメやインターネットは普及していませんでしたから、デジタルデータでネット流出はありませんでした。

 卒業して地元に戻り、社会人となったので努めて淑やかに振舞っていました。職場では、「清楚な新人」と言われて、同期の短大卒の可愛い「アイドル新人」と区別されていました。私も「アイドル新人」に負けずモテ出し、何人かに言い寄られましたが断っていたら、身持ちが堅いと言われて処女説まで噂されました。

 そんな時、夫と再会したのです。忘れられない愛しい男性との再会に、私は当然アプローチしました。清楚を前面に押し出し、健気な態度で夫に気持ちを伝えました。「やっと会えた。離したくない。」と言いました。夫は、自分が処女を奪った相手が今でも想っていてくれた事に感激して私を受け入れてくれました。
 さすがに離れていた6年の間に私が誰ともお付き合いしなかったとはウソ臭いので、大学時代に2人とお付き合いしたと言いました。「再会することが分かっていたら、付き合わなかった。ゴメンナサイ」と言って夫にしがみついて泣きました。夫は、自分だってお付き合いした女性がいたからお互い様だと言ってくれました。
 再会して5日、告白した翌日に6年ぶりに夫に抱かれました。夫は至ってノーマルなセックスをしますが、私が色々な性体験を経て再会したら、夫のオチンチンは長くて上に反っていて、決して太くはないのですが亀頭がいいところに当たって最高でした。私は、昔と違ってオンナの悦びをかなり知っていましたから、夫に抱かれていきなり乱れるわけにもいかず、必死で我慢しました。私は、相変わらず優しく私の心を掴んで離さない夫に嫌われたくなくて、淫乱な過去を隠し通しました。学生時代の所業を反省し、とにかく健気に夫に尽くしました。
 
 2年付き合って私25歳、夫30歳で結婚しました。あれから9年、私は二人目の出産を機に4年前退職して今は34歳の専業主婦です。今でも清楚を意識して慎み深い奥さんになるよう努めていますが、夫に抱かれた時は、今は遠慮なくオンナの悦びを全身で表現しています。「あなたのオチンチンに開発されて、すっかりエッチにされちゃった。」と夫に言っていますので、「その責任を取らなくてはいけないな。」と、今でも週4、5回抱いてくれています。凄く満足しています。毎回必ず「ああ、私の愛しいあなたのオチンチン」と言いながら、夫を見つめながら丁寧にフェラするので、夫もいっぱいクンニしてくれます。
 
 夫を騙しているようで心苦しいですが、学生時代におじさんに性開発され、30人近くとワンナイトラブして、父より年上のおじさんに性調教されて、お尻の穴まで奪われたなんて夫が知ったら、間違いなく離婚でしょうね。
 中年男性との姦交に酔いしれ、膣穴や直腸を蹂躙されて悶絶した過去を隠す私を幸せにしてくれた夫に、私は一生尽くすつもりです。