萌え体験談

萌え体験談、エッチな体験、投稿体験談を配信しています。

通学

昔のこと

もう自分は50を過ぎた。人生の半ばをとっくに過ぎている。
この場を借りて、懺悔をしたい。

もう20年以上の前のことなので、詳しいことは覚えていないし、
覚えていても多分記憶が美化されているだろう。
それでも、名前は仮名にして、ここに書く。

自分は高校まで地方都市で過ごしていたが、大学からは東京だった。
首都圏の満員通学になれず、毎日、ヘトヘトしていた。
ただ単位を取るためだけに、つまらない授業を受けていた。

ちょうどバブルがはじけた後だっただけに、親の仕送りだけに頼るわけにいかず、
夜はファミレスでバイトをしていた。
バイトには、高校生や大学生、主婦など、様々な人がいた。
当時、童貞であった自分は女性への接し方も分からず、
女性と話をしても、自分の気持ちや意図を伝えることはできなかった。
今でいうとコミュ障害であったと思う。

そういう中で、気が合う女性がいた。
9つ上の主婦の奈津子さんだった。
奈津子さんは、さすが、主婦というわけ合って、話がうまく、
コミュ障害の自分でも気軽にしゃべることができた。

奈津子さんの旦那さんは10以上も年の離れた銀行員であり、金目当てで結婚した。
旦那は出世のことばかり考えて仕事ばかりしていて、
全然、奈津子さんのことを構ってくれないみたいだった。
奈津子さんは30手前だったから、相当、溜まっていたのかもしれない。

いつしか、奈津子さんのマンションに行くようになり、
自然とSEXをするような仲になってしまった。
どういう経緯でマンションに行くようになり、
どういうきっかけで、SEXするようになったか、はっきりと覚えていない。

覚えていることは自分の初めての相手が奈津子さんであり、
生でしたけれども、外に発射したことだけである。
そして、SEXはこんなものかと思った。
あまり気持ち良くなかった。

後々、経験を積んで分かることなのだが、初めての相手とSEXはあまり気持ちが良くならない。
ただ、最初の頃は、SEXをしたという行為の達成感、女性に突き刺したという征服感、ぐらいしか感じない。
本当に気持ち良くなるのは、お互いに好きだという気落ちがあり、
何回もSEXを重ねて、好きな男のちんぽに合わせて膣の形が変わり、
お互いの腰の動きが合ってきて、男性と女性が一つに溶け合って、
女性を自分の所有物としてからだ。
こうなると、女性は中出しを許してくれる。

開き直った女性は怖い。

いつからか奈津子さんに必ず中出しするようになった。
子供ができそうなときは、必ず旦那さんと偽りのSEXをして、ばれないようにしていた。
旦那さんは淡泊だから、旦那さんの種では妊娠しないと確証していた。

何度も逢瀬を繰り返し、、年の瀬になると、奈津子さんから妊娠したと伝えられた。
間違いなく自分の子供だ。
旦那とはアリバイを作ってあるから、多分、ばれない。
だから、自分の子供を旦那の子供として産んで育てる。
自分に迷惑を掛けない。
だから、もう自分には合わない。別れて。
そのように伝えられた。

以上が20数年前の話である。

最近のことである。
興信所か何か使ったのであろう、
数か月前に、奈津子さんから会社の電話にかかってきた。

20数年ぶりに奈津子さんと会った。
奈津子さんは60を超えたおばさんであったが、昔の面影は残していた。
右手の薬指に湿った感覚が甦るとともに、年甲斐もなく、勃起してしまった。

奈津子さんとの話は、このような話だ。
今は娘一人と暮らしている。
旦那とは既に死別しているが、たくさん遺産を残してくれたので、生活には困らない。
娘が今度結婚することになった。
一目で良いから、娘の晴れ姿を見に来てくれないかと言うことだった。

寒い季節に、都内の結婚式場に娘の晴れ姿を見に行った。
背筋がピンととおっていて、きれいな女性だった。

奈津子さんと眼が合った。
お互いに軽く会釈をした。

このとき、初めて、奈津子さんの旦那の存在を感じた。
奈津子さんの旦那さんは社会的には優秀であり、奈津子さんに多額のお金を残してくれた。
奈津子さんと自分と奈津子さんの娘のために、働いてくれた。
自分の娘は、これほどまで美しく、綺麗になった。
育てれくれて、ありがとうと心の中で思った。

托卵。
もしかしたら、日本では、こういうことは良くあるのかも知れない。
昔は盆踊りの後は無礼講乱交パーティーがあったと聞くし、
戦後の混乱期でも、こういうことは良くあったと聞く。

さらに思う。
自分も年の離れた若い嫁さんがいる。
とてもかわいい娘が二人いる。
娘たち、果たして、自分の娘か?と。

坂道高校

出展:カオスストーリー2


今日はとても目覚めの良い朝だった。
中学生時代、あまり内申点がよくなかった俺は、担任の勧めで今年から新設された坂道高校に進路を決め、そして合格した。
周りの友達が誰一人として同じ高校に通う奴がいない事を除けば、新たなスタートをずっと心待ちにしていた。
新しい制服に身を包み、慣れない通学路を自転車で走って行く。
正門をくぐり指定の場所へ自転車を止め、期待と不安を胸にまだ汚れ一つ付いていない校舎へと足を運んだ。

新設校という事もあり、入学前に届いた封筒の中に自分のクラス、さらには校舎内の地図などが送付されていたのでさほど迷う事なく自分のクラスへとたどり着いた。

「こういうのってやっぱ最初が肝心だよな……。元気に挨拶しながら入るとかした方がいいかな?」

俺は教室の入り口の前で立ち止まり、新学期特有の緊張感に襲われていた。

「あの、邪魔なんだけど」

ぶつぶつと独り言を言っている俺の後ろから声がする。

「あ、ご、ごめん」

俺は慌てて道を譲ると、俺に声をかけてきたその女の子は澄ました顔で教室に入って行った。

今の子を見ていると、変に悩んでいた自分が無性に恥ずかしい。
俺も平然を装って、何食わぬ顔で教室に入る。
まだほとんど人が来ておらず、先程の子と俺を含め6人しかいなかった。
この人数で挨拶しながら入っていたらと思うと怖い。怖すぎる。
とりあえず俺は黒板に張り出されている紙に目をやった。座席表である。

「えっと、俺の席は……1番後ろの窓際か。最高だな」

自分の席に向かう途中、先程声をかけてきた子が目にとまった。俺の右隣りだったからだ。

荷物を置き、さっきの子に声をかけてみる。

「あ、さっきはごめんね」

「別に」

チラッと俺の方を見たかと思えば吐き捨てるようにそう言うと、彼女は机に突っ伏した。

チクリと心が痛む。何故新学期そうそう嫌われなければいけないのだ。ましてや隣の席の子だ。
なんだか今日は嫌な予感がする。こういう時の予感に限って当たるのが世知辛い世の中である。

これ以上変に行動を起こしては先程の二の舞。
俺も彼女と同じように机に突っ伏し、目を閉じた。

なんだか騒がしい。そして何故だか頭が痛い。
そうか、寝てしまっていたのか。
ふと顔を上げるとスーツを着た女性がパンフレットの様な物を丸めて持っている。
俺はこれで頭を叩かれたのだ。まるで丸めた新聞でゴ◯ブリを叩くかのように。

「全く、新学期早々居眠りとはいい度胸ね2人共」

「あ、その、すいません……ん?2人?」

横を見てみるとあの子が頭を抑えている。きっと同じように叩かれたのだろう。

「じゃあ2人、私の名前言ってみ」

俺はチラッと横を見た。すると彼女も俺を見ていた。

「……わかりません」

2人口を揃えて同じ事を発する。
パーンッと2回心地の良い音が教室に響くと同時に頭部に痛みが走る。

「2人共今日は居残り決定。私は、あなた達の担任の新内眞衣です」


陸上部のJK..

その子をはじめて目にしたのは4月のとある日だった。
新入生目当ての変態っぽいのが正面から密着していた様だったが、
触られだした途端に、蹴りを入れて撃退していた。
そんな事をすると仲間呼ばれて囲まれるのではと心配した。
案の定翌日数人に囲まれて何かされそうになっていたが、
またもや暴れて何とか撃退していた。

ああいう手合いは結構横の繋がりがあるようで、もは彼女に手を出す奴はいなくなったようだった。
彼女は部活に入ったのか部名入りのジャージで通学するようになっていた。

5月の連休明け、私は車内で部活ジャージ姿の彼女の後ろに立っていた。
以前から疑問に思っていたことを試すときがきたのだ。
「この子は、ソフトに触れられたらどういう反応を示すのだろう?」

運動部らしく5月にして既に軽く日焼けしたうなじを見下ろしながら
ジャージの上からそっと尻に指の甲を当ててみた。
擦れた感覚でびくっとした彼女。しかし触れるか触れないか、ぎりぎりのラインで
混雑のせいか判断がつかず困った様子。
指の甲からもわかる、運動部にしては柔らく、垂れとは無縁の健康的な美尻。
パンツの線を辿ったり、手のひらで撫で回したりといったあからさまな行為はせず、
そのまま電車の揺れを利用しながら指の甲でそっと尻肉を軽く優しく擦り続けた。
彼女は少し俯き加減でドアに寄りかかり20分程お尻を擦られ続けた。
降りる際に振り返って後ろの私を見ていた。怒っている様ではなかったが・・・。

翌日からは1週毎に指を2本・・・3本、毎朝後ろについた上にここまで増えれば故意に触れているのも同然だが
彼女は迷ってるうちに拒絶するタイミングを逃し、ズルズルと引きずり込まれた感じだった。
もう一本遅い電車からは激込みであるため、変えにくいのが大きいのだろう。
私は彼女のフワフワな柔らかいお尻の感触に病み付きになっていた。もはや病気。

6月、衣替えの季節。それまでのスウェット地のジャージから、薄い夏のトレーナーに替わった。
下の名前が背中にローマ字で綴られていた。この子はマユちゃんというのか…。
そっと3本指を当てると、生地が薄くお尻のフニフニ感がダイレクトに伝わってくる。
おもわず手のひらを返して軽く下尻を撫でてしまったが無抵抗だった。彼女の境界線は少しずつ押し下げられ削り取られてしまっていた。

そしてすぐに中間テストの季節が来た。部活が休みで、制服で通学することになる。
チェック柄のスカート丈は膝が隠れるくらいで、他の子より長めだった。
その日は雨予報のせいかいつもより人が多く、遅れ気味だった。
彼女もいつもの電車から一本遅れた。彼女の真後ろに並ぶと
躊躇う様子を見せたが、もう一本遅いと遅刻しかねない。
そっと押して激込み電車に押し込んだ。
反対側のドアに押し付け、これまでと違う完全密着状態。周りから死角に
なっている片方の手で、手のひらでお尻を包み込む。
スカートの上から柔らかいお尻全体をソフトに、だがはっきりわかるように揉んだ。
いつもと違う強引な行為にビックリたのか、固まってたが、さすがに嫌がって体をそっと捩りだしたので、すこし間を取った。
残り時間は15分位…。

スカートのポケットの位置を確かめると中のファスナーをそっとゆっくり下ろして
そのままそっと左手を中に滑り込ませた。履きこみの深い綿パンツの感触。
今までに無かった異常事態に彼女から梅雨空のドアの窓越しの反射で抗議の視線がきたが、
左手でパンツの上から恥丘の膨らみをフニフニ、フニフニ…右手でスカートの上から
お尻をサワサワ…。彼女は手摺に手を絡め俯いている。
微妙ににパンツが湿ってきた。クリのあたりをフニフニ執拗に責めつづけると、
「んっ」と微妙な声ともに脚を震わせ腰が落ちた。
パンツのそのあたりはぐっしょり濡れてしまっている
右手を腰に回して抱き寄せ、左手の指をそっとパンツの裾から挿入。
彼女は手摺を何度も握り返し、周りを気にして恥かしそう。
第二関節まで沈めて強弱をつけながらクチュクチュしたり
出したり入れたり。
彼女は眉を八の字にして苦悶の表情。
そっと指を抜いて、栗を生ではじいてやると
また脚を震わせ、力が抜けちゃった。
耳まで赤くなって、ちょっと涙目で微かに顔を振って嫌々しだしたので、指を抜き
乱れたスカートを調えた。これじゃ強制猥褻だ。ちょっとやり過ぎた…。マユちゃんごめん。

菜摘です。-弟の自由帳-

菜摘 15歳 都内の女子校に通う高校1年生です。
小学校から女子校なので、男性と知り合うチャンスはほとんどないんです。

そんな菜摘の身近にいる男子は、弟の悠斗、中学2年生です。
とっても成績優秀で、中学校から都内の進学校に通っています。

素直でお姉ちゃんのいうことを何でも聞いてくれる、優しい弟だったけど、小学校5年生くらいからあまり話しかけてくれなくなりました。
どうして、話しかけてくれないんだろう、嫌われちゃったのかなってすごく気にしていたけど、そうじゃないって分かったことがありました。

菜摘も悠くんも、「自由帳」って言うのを持っています。

子供のころは、親から言われて、毎日日記をつけていたけど、小学校高学年から日記の代わりに自由帳っていうのをつけるようになりました。それは、思っていることをなんでも書いていいんだけど、親とかは絶対に見ないって約束してくれているんです。
だから学校であった嫌なこととか、悩みとかをそこに書いています。

悠くんが小学校5年の時、菜摘に話しかけてくれなくなったので、嫌われちゃたのかな?
って思って、悠くんの部屋に入って、悠くんの自由帳をこっそり読んだことがあります。

すると、ページの片隅に「好きな女子 ○○菜摘」って書いてあるのを見つけました。

悠くんは地元の小学校に通っていたので、同級生の女の子もいるのに、好きな女子として菜摘を書いてくれたので、すごくうれしかったです。

悠くんが、菜摘に話しかけてこなくなったのは、中学生になったからかもしれないし、菜摘の体が成長してきたせいかもしれません。菜摘のことを異性として意識しはじめたのかな?って思います。

菜摘は中学生ぐらいから、胸が少しずつ大きくなってきました。

小学校までは、悠くんと一緒にお風呂に入っていたけど、そのころにお母さんから、「悠くん、なっちゃんと一緒じゃなくて、1人でお風呂に入りなさい。」って言われて、一緒にお風呂に入らないようになりました。

そのころから、悠くんは、あまり話しかけなくなりました。
そのかわり、時々エッチな目で菜摘のことを見るようになってきたんです。
ご飯を食べているときとか、テレビを見ているときとか、ふと悠くんを見ると、菜摘の胸やお尻をじっと見ているんです。

最初は、悠くんが菜摘の体を見ているのを知って、すごく恥ずかしかったし、ショックだったけど、そのうち悠くんの視線を感じてドキドキするようになったんです。
それに、そういう時に、悠くんのズボンのふくらみをみると、すごく盛り上がっちゃっているんです。
それを見て、菜摘もドキドキするようになりました。

悠くんは、お父さんやお母さんの期待に応えて、中学受験で、有名な進学校に合格しました。

菜摘は、悠くんと一緒に通学できるって楽しみにしていたけど、悠くんは一緒に行こうっていっても、「恥ずかしいからいやだ。」って言うんです。

しょうがないから、朝はお母さんに駅まで車で送ってもらって、同じ電車の別々の車両に乗って通学することになりました。

菜摘のことをどう思っているのか、気になって、悪いって分かっていたけど、悠くんの部屋にこっそり入って、また、自由帳を見ることにしました。

自由帳はなかなか見つからなかったけど、あまり読んでいない図鑑の間に、挟んでありました。

菜摘は、ドキドキしながら自由帳のページをめくると、びっくりするようなことが書いてありました。

「なっちゃんの大きなおっぱい」って書いてあったんです。

確かに菜摘は中2くらいから急に胸が成長していました。

今は胸のサイズはFカップになっていて、友達からも「なっちゃんの胸、すごいね。」とかって言われて、恥ずかしい思いをしています。
電車の中で、他の学校の男子に胸のあたりをジロジロ見られて、すごく恥ずかしい思いをしています。

さらに、ページをめくっていくと、もっとエッチなことが書いてありました。

「部活の時に、中村先輩に、『お前のお姉ちゃん、巨乳だな。』って言われた。」

って書いてありました。悠くんの学校の運動会に、お父さんやお母さんと一緒に行ったから、そのときに、誰かに見られたのかもしれません。

他のページには、
「電車の中で、なっちゃんのことを他の学校の高校生が、『あの○○○学園のやつ、乳でけぇな』って噂していた。大好きななっちゃんのことを、そんな風に言われて、恥ずかしくて悔しかった。」
とも、書いてありました。

きっと悠くんは、そういうこともあって、菜摘と一緒に学校に行くのが、いやだったのかなって思いました。

さらにノートを読んでいくと、菜摘のことをいっぱい書いてありました。

「巨乳女子高生 ○○菜摘」とか、「○○高校の不良が○○菜摘の巨乳を狙っている。」とか・・・いやらしい言葉がいっぱい書いてありました。

他のページは、「○○菜摘は15歳でFカップ」って書いてあって、菜摘のブラジャーのサイズが、いつ大きくなったか記録していました。
悠くんはお風呂に入るとき、洗濯かごに入っている菜摘のブラのサイズをチェックしていたみたいです。

また、他のページには、悠くんの妄想も書いてありました。

「淫乱巨乳 ○○菜摘」
「○○菜摘は、電車の中で痴漢されても抵抗しない。」
「担任の教師は、毎日○○菜摘の乳房を揉んでいる。」
「セックス大好き ○○菜摘」

あまりにいやらしいことが書いてあるので、菜摘も読んでいて興奮してきました。
最後のページには、「菜摘の巨乳を触りたい。」って書いてありました。

悠くんの自由帳を元にあった場所に隠して、自分の部屋に帰ってもまだ菜摘はドキドキしてました。
それで、菜摘も自分の自由帳に、エッチなことを書いてみました。

「○○菜摘はFカップ女子高生です。」
「菜摘は毎日担任の先生に、おっぱいを触られています。」

そして、「悠くん、なっちゃんのおっぱい、さわってください。」って書くとドキドキしてきて、最後に「○○菜摘は、○○悠斗のオチンチンが見たい。」って書いて、オナニーをしました。

今度は、悠くんの自由帳に「菜摘のおっぱい触ってください。」って書いてみようかな・・・?

また投稿します。

レイナ4

体育祭から二週間もすると彼女の脚は順調に回復したようだ。
腫れも引いたみたいで、自転車通学を再開した。
文化祭の後、すぐに中間テストが始まった。
それが終わると、
十月も既に半ばで数日後に学年旅行を控えていた。

俺達の通う学校は全ての学年に泊りがけの旅行がある。
受験がある為、
三年生の修学旅行だけは春先に予定されているが、
一、二年生の旅行は秋に計画されていた。

テストの前から周囲の話題は、
その旅行に関するものばかりになった。
皆、それぞれの思惑があるのだろう。
目的地は山で、その近くにある湖畔のホテルが宿泊先だった。
往復はバスで、二泊三日の予定だ。

当日は秋らしく、さっぱりとした天気だった。
目的地が近付くと空気がひんやりしてくる。
午後にはホテルに到着して部屋に入った。
今日は、そのまま食事、就寝となって、
明日は山、明後日は湖を散策する予定になっている。

部屋の規模は、まちまちで
各クラス四人から八人部屋を割り当てられ、
それぞれ決められた部屋に別れた。

俺は四人部屋に入れられる。
食事が終わり、各自大浴場で風呂を済ませると、
周りの男達は急激に色めきたってくる。
何とかして女子の部屋に行こうとしているのだ。
そのテンションは異常で、普段のクラスメイトからは
想像もつかないような別の顔を見せる者もいた。

ホテルの造りは、中心にフロントがあり、
その両側に広がるように部屋が配置されている。
ちょうど、上から飛行機の主翼部を見るような形で、
胴体がフロント、主翼の部分が客室という感じだ。
ホテルの入り口は北側にあって、
そこから入ると正面にフロントがある。
それに向かって左側、つまり東側が女子の泊まる客室。
反対に右側(西側)は男子の客室だった。

便宜上、女子の方を東棟、俺達の方を西棟と呼ぶ事にする。
生徒が泊まる部屋は二階にあって、
そこから東棟と西棟を直接行き来する事は出来なかった。
一度、一階に下りてフロントの前を通っていかなければならない。
当然、そこには教師がいる。
逆に言えば、そこさえ押さえておけば
反対の棟に行く事は出来ない、と教師達は考えているのだろう。
事実、その通りだった。
学校側が、このホテルを選ぶのも納得出来た。
監視する方は非常に楽だろう。
俺は東棟に行くのにあまり熱心ではなかったから、
行けないなら行けないで仕方ない。
男同士で遊べばいいか、と思っていた。

だけど、困難であればあるほど燃える者達もいて
何人かは女子の部屋に向かおうと果敢に挑戦しては
敢え無く撃沈して部屋に戻されたりしたようだ。
初日はバスに揺られていただけなので、
皆、体力は余っている。
遅くまでチャレンジしている人もいたようなのだが
俺は零時を過ぎる前に自分の部屋で寝てしまった。

翌朝、朝食の席で昨夜の話が出ると、
何人かは女子の部屋に行く事が出来たらしい。
詳しく聞くと、女子側の協力があっての結果らしく、
逆に言えば、そこまでしないと東棟に行くのは難しい、
という事だろう。

幼馴染みのおかげで生きる決心がついた話

出会いは小学校低学年の時、俺が幼馴染みが住む街に引っ越してきたとき。
第一印象は「明るいけど不細工な子」だった。

引っ越してきた理由は親の離婚。物心ついた時には既に不仲で、家の中は常に険悪な雰囲気だった。
おかげで表の自分と裏の自分が周りに比べて、随分早い時期に出来上がったように思う。
これが後々問題になってくる。

そんなこんなで、新しい生活が始まったわけだが、幼馴染み…不細工な子とは家が近くて通学バスが一緒だった。(これからは幼と書くことにします)
それから話は飛んで高学年になった頃…女の子が恋愛に興味を持ち始める時期。
幼も例に漏れず好きな子が出来たらしい。

思い当たる節がある人も多いと思うが、その時期は、やれ誰が誰を好きだの嫌いだのって異様に盛り上がる。
恋愛相談とか何とか言って、放課後に男女混じってよく話をしていた。
そのなかに自分と幼もいた。
その時に幼に好きな子がいることを知った。

その子をS君としよう。
男の子にしては成長が早く、周りより垢抜けた感じの子。
第一印象は不細工だった幼も、その頃にはぽっちゃりだったものの可愛くなっていた。
高学年の時期に告白するのは大抵が女の子。

幼も告白を決心したらしく、自分を含めた周りで応援することになった。
そこでS君と仲の良かった自分が、恋のキューピッドをすることに…。
当時、携帯を持っている子は少なかったが、自分とSは持っていた。

そこで、幼なじみも携帯を買ってメールをし、仲良くなってから告白する。という作戦が立てられた。
自分がSとのメールでさりげなく幼なじみの話題を出して、二人のやりとりのお膳立てをすることに。

その為に幼なじみとアドレスを交換した。
最初のやりとりを取り持った後も、幼なじみとメールは続く事になる。
恋愛相談とかそんな内容。
自分と幼なじみには、この(メール)というツールがかなり重要になってくる。

一応書いておくと、この頃自分は幼なじみの事を何とも思っていなかった。

しばらくして二人は付き合う事に。
どういうわけか、付き合い始めても、幼なじみは自分にメールをくれた。
それも日に1、2通じゃなくて、何通も。
そのくれたメールに対して、あぁ。とか、うん。としか返信しないのにも関わらず…。

そんなこんなで、小学校卒業までもうちょっと。というときに幼なじみとSはは別れた。
ここまでの約二年間、ほぼ毎日自分とのメールのやりとりは続いていました。

さすがに二年間もメールをしていれば、自分も適当な返信はしなくなりました。

この頃です。自分が幼なじみを気になりだしたのは…。
しかし、決定的ではありませんでした。

単純に、メル友くらいの感覚です。
なのにメールが来ないと不安で、自分から送る事もありました。

人を好きになる理由としての、単純接触の繰り返し。
これが自分と幼なじみにおいては(メール)という事だったのでしょう。

そんな曖昧な感情だった自分が、好きだ!と意識したのが、小学校を卒業する三日前のこと。
学校が終わって通学バスに乗り込んだ時に、幼なじみが後ろの方の席に座って、窓の外を見ている横顔を見たときです。

あのときの、胸が締め付けられるような何とも言えない感覚…。
きっと恋をした事がある人にはわかる思います。

好きだと気付いたものの、すぐに春休みです。
引っ越してきてから、バスと学校にいる間は近くに居たのに、急に会えなくなった。

この会えない期間が、更に好きだということを自分に意識させたんだと思います。

さて、春休みが終わって中学生になりました。
幼なじみとは同じクラスに。

先にも書きましたが、自分は表と裏の違いが激しい性格です。

好きだと自覚していても、そんな気はないよ!というほんとの感情は表に出さないように接していました。
それは幼なじみに限ったことではなく、誰に対してもそう。所謂、クールぶってる感じです。

実際は、ぶってる訳ではなく、自分が周りにどう思われてるか、思ってる事を言ったら空気が悪くてなるんじゃないか?
そんな事を極端に気にしての事でした。

話は変わりますが、中学生と言えば部活です。
ある部活に入る事になるのですが、それを幼なじみに話すと、自分も入ると言います。
正直、小躍りしたいくらい嬉しかったのを覚えています。
その部活は、人数が少なく男女一緒に練習するような部活でした。

ここでも、単純接触の繰り返しになります。
家が近い事もあって、登校?下校まで四六時中一緒です。
好きな子とこれだけ一緒にいて、我慢出来るはずかありませんでした。

それはどうやら自分だけではなく、幼なじみも同じだったようです。
あるとき近所の公園に呼び出されて告白されます。
しかし、あくまでクールな自分。
所属している部活が恋愛禁止だった事もあって、ほんとは嬉しいくせに断ります。

これが中1の夏の出来事。
断ったのにもかかわらず、メールのやりとりは続いていました。

そのまま冬まで特に変化はなく進みます。
クリスマスシーズンになると、周りにはちらほらとカップルが誕生し始めます。

そんな雰囲気に当てられた自分…。
しかも幼なじみが自分の事を好きなのは明白です。

一大決心をし告白しました。
答えは勿論OK。

ですが、あくまでクールな自分。
ほんとは女々しい男のくせにです。

後から、自分のどこが好きなのかと聞くと、クールなところと言われます。
ほんとはそんな人間じゃないのに…。と思いながらも、今までだって偽ってきたんだから余裕だろ。
そう思っていました。

しかし、幼なじみと接する度に、細心の注意を払うのも限界がありました。

結局、三ヶ月弱付き合って、進級前に別れます。自分から別れを告げました。
上に書いた事も別れようと思った理由になりますが、その他にも家が貧乏だった事もあります。

離婚して、母に付いてきた自分です。母子家庭で裕福なところは限られてくると思います。

それに比べ、幼なじみの家庭は当時の自分からすれば裕福な家庭。
ピアノの習い事などもしていました。

そういった劣等感に耐えられませんでした。

はっきり言えば、逃げたのです。
明るくてニコニコしている幼なじみ…。
一方、性格がねじ曲がって貧乏な自分。
ほんとに馬鹿です。

この頃、後々関係してくる、バイクに離婚した父の影響で、興味を持ち始めます。

バイクと言っても、中高生が興味を持つ、暴走族といった類いのものではなく、サーキットを走るようなバイクです。
たまの休みに父とサーキットに行って走る。時期的にはまだ寒かったですが、どんどんのめり込んでいきます。

幼なじみとは相変わらず、学校と部活で顔を会わせますが、全く知らないふり。
嫌いになって別れた訳ではないので、かなり辛かったです。
ここで小学校から続いていた、メールが途切れます。

月に300通?もう少し多いかもしれません。そのメールがです。言葉にしがたい不安に襲われました。

ここまでが中1の話です。

ここから一気に中3の春まで飛びます。
約一年間、会話もメールもなし。ときたま幼なじみからメールが来ていましたが、一切返しませんでした。

ここである出来事がおきます。

それは、自分がサーキットで転んで入院することになりました。怪我は骨折と肺挫傷。
自分の中で、まだ好きだった幼なじみが来てくれるかな?なんて思っていたところ、同級生の中で誰よりもやはく来てくれました。
隣の県の病院にもかかわらず…。

病室に入るや否や、大泣きされて看護婦さんまですっ飛んでくる始末…。
この時ほど「後悔」をしたことは今までの人生でありません。
話しかけてくれても無視していた事、メールも返信しなかったことなど…。
それから前のようなメールのやりとりが再開します。

怪我も治って一ヶ月弱で退院。

肺と足を怪我したので、しばらくは松葉杖を使った生活。
学校に居るときも献身的に支えてくれて、母子家庭で帰りが遅かった母が帰って来るまで家に居てくれたりもしました。

これで落ちない男はいないと思われます。

しばらくして部活も引退しました。
あれから、ぐっと距離が縮まった気がして、以前のように必死に取り繕う事はしなくなりましたが、それだもまだ接する時は表の顔でした…。

この時、夏間近。
ここから、友達以上恋人未満な関係が続く事になります。

なんやかんやで、お互い好きだと伝えているものの、あと一歩が踏み出せませんでした。
この関係がお互い気楽だと分かっていたのだと思います。

そのまま冬になりました。
ここであることが判明します。

幼なじみを好きだという男が現れます。
その男をD君とします。

自分はDに詰め寄られます。
幼なじみと付き合っているのかどうか…と。

間違いなく、幼なじみと一番仲のいい異性だと自信はありましたが、付き合っているわけではなかったので、NOと答ました。

それから、Dの幼なじみへの猛アタックが始まります。

勿論、幼なじみから相談を受けます。
ですが、前回逃げたのと同じような理由で、今回も逃げます。

最初は、自分よりも良い男じゃない?付き合ったら?とかそんな感じでしたが、段々と突き放し始めます。

劣等感に耐えられず、突き放せばそのうち寄って来なくなるだろ…。
なんて、訳の分からない事を考えての事でした。

幼なじみの事を大好きなくせに。
ほんとは誰にも渡したくないのに…。
やはり馬鹿です。

これが原因で再び疎遠になっていきます。

そのまま卒業を迎え、幼なじみとは別々の高校に進学することになりました。
結局、Dとは何もなかったようですが…。

ここから約三年間は、幼なじみとの接触はほぼありませんでした。

さて、自分は16歳になりました。
当然の如く、普通自動二輪の免許を取ります。

サーキットを走っていた自分です。
暴走族ではなく、所謂「走り屋」の世界にのめり込みます。

高校の部活は帰宅部で授業中は寝ている。

早朝に峠に行ってから学校に行く。
帰宅後はバイトか再び峠に…。
晩飯を食べて高速を流す。

そんなバイク中心の生活です。

高校では相変わらず、上部だけの友達付き合いで、親友なんてものは居ませんでした。

その代わりバイク仲間…いや、走り仲間が沢山出来ます。

学校なんかの狭い世界ではなく、大人の世界です。
16歳のガキが憧れないはずがありません。

幸い、サーキットを走っていただけあって、速いねぇーと声をかけられる事が多々ありました。

16歳やそこらで、大人の走り屋を負かす。
しかも、大人が乗っているのは、そのままサーキットを走っても大丈夫なバイク。
自分は400ccのツーリングバイクで…。

当然、調子にのります。ほんとに馬鹿です。
もっと速く誰よりも速く。
それしか考えて居ませんでした。

心のどこかで、いずれ転ぶな…とは思っていましたが止められず、この生活を続けて行くことになります。

過去に戻れるなら、足を切断しててでも止めさせます…。

結局、何事もなく高3の冬になりました。
この間も幼なじみとは一切連絡はとっていません。
風の噂で、彼氏がいる事は聞いていましたが…。

あるとき、滅多に立ち寄らないコンビニに入りました。
何気なく会計をしていると、どうも聞いたことのある声が…。

そう思ってネームプレートを見ると、幼なじみでした。
マスクをしていて髪型も変わっていましたが、間違いなく…。
幼なじみは気付いていたようで、目しか見えませんでしたが、昔と変わらずニコニコしていました。
嬉しさがこみ上げてくると同時に、どうしてこのタイミングで…という思いでした。

どうして…というのは、彼氏がいると聞いていたので、この三年間連絡もとらずに、ただただ耐えていたのに…。
卒業後の進路も決まって、心機一転新しく頑張ろうと思っていたのに…。
という心境からです。

その後、バイト終わりの幼なじみからメールが来て、前ほどでは無いものの、メールのやりとりが再び始まります。

聞くとやはり彼氏がいるようでした。
付き合いは長いらしく、それを聞いて諦めがついた自分がいました。

月に2、3通程度のメールをしているうちに、卒業になりました。

それを機会に自分はアドレスを変更しました。
勿論、幼なじみには教えずに…。

これですっきりした。
そう思って新生活を始めます。
進学先は隣の県の自動車整備専門学校。

一人暮らしも始めて、意気揚々と勉強にバイトに頑張っていました。
もう、幼なじみの事なんか忘れた…と思っていました。
いや、思ったつもりでした。

そんな生活も長くは続きませんでした。
察しの言い方は予想がついているかもしれませんが、夏休みに事故を起こしまします。
いつものように、峠を走っていての単独事故です。

怪我の程度は重傷。多発外傷でICUに二ヶ月入りました。
入院期間の合計は半年をこえます。

記憶は曖昧ですが、意味不明なことを喋りながら、必死に幼なじみの名前を呼んでいたそうです。
あとから看護婦さんに聞きました。

聞いた時に思ったのが、忘れたつもりだったのか…です。

無意識下で呼ぶようであれば、確信しない訳がありません。
自分はまだ幼なじみが好きなんだと。

そう確信したのもつかの間、暴走の代償は予想以上に深刻なものでした。

骨折はかなりしたものの、時間がたてば治ります。
しかし、自分は神経をやられていました。

左足の麻痺。
こうなると、将来は真っ暗です。
生活の中心だった、極端な話、生き甲斐と言っても過言ではなかったバイクにはもう乗れません。

長い入院生活もあって、精神的に弱っていた自分は、医者に殺してくれと懇願します。

当然、殺してもらえるはずもなく…。
そこで考えたのが自殺でした。

腰椎と胸椎も骨折していた自分は、電動のリクライニングベットに寝ていました。
頭のところの手すりにシャツの袖を結びつけて…。

意識が遠のいた後に、心拍数などを図る機械が異常を知らせた為、看護師さんが来て助かります。

その後は手をしばらく拘束されました。

どうしようもなく、ただ入院生活を過ごして、松葉杖で歩けるようになったところで退院しました。
その間も死ぬことしか考えていませんでした。

今考えると、ただの甘えです。自分より不自由な生活をしている人は沢山いるのに…。
当時はそう思えませんでした。

しばらくは家で大人しくしていましたが、車に乗ることを挑戦した結果、一人で乗り降りまで出来ることが分かりました。
若干の自由を手にいれて考えた事が、幼なじみに会いに行く。でした。

そう考えたものの、連絡手段がありませんでした。
迷ったあげく、幼なじみがバイトしていたコンビニへ…。
一日、二日、三日…。しばらく通いましだが会えず、今日行って会えなかったら諦めよう。
そう思って行った日に会うことが出来ました。

店に入って姿を見つけた時に、明らかに心拍数が上がるのを感じました。

平静を装ってレジへ…。
幼なじみは気付いていないようです。
自分は、マスクをして帽子を被って、昔はかけていなかった眼鏡をして…。
当たり前です。

このまま声をかけずに帰ろうかとも思いましたが、ちっぽけな勇気を振り絞って声をかけました。

最初は、え?みたいな顔をしていましたが、目があって誰だか分かった様子。
バイトが終わるのを待って、車で話をすることになりました。
車でお互い質問攻めのあと、アドレスを交換して別れました。

この時はまだ死ぬつもりで、最後に話が出来たら良いなぁ、ぐらいのつもりでした。
再び始まったメールで、彼氏がいないことを知り、今度遊びに行くことに。
何度か遊ぶうちに、幼なじみと一緒にいたい。そう思い始めました。

ですが、以前のように自分に嘘をついて付き合うのは嫌です。
クールなところが好きだと言っていた、幼なじみに自分の素を白状しなければなりません。

女々しい自分を受け入れてもらう事になります。
それに加え、障害者という自分もです。

勝手な話ですが、小学生から好きな女性です。
付き合うなら、結婚して幸せにしたい。
親が離婚している自分は、半端な恋愛はしたくないのです。

そうなると、例えOKをもらったとしても、幸せにできるのか?障害者の自分が…。
そう考えました。

結局、悩んだあげくに全てを告白することに決めました。

呼び出して、
小学生から好きな事、
中学の時は、家庭環境の違いや、自分の自信のなさを理由に逃げ出したこと、
事故を起こして、改めて好きだと気付いたこと、
つい最近まで死のうと思っていたこと、
これからも一緒に居たいこと…。

自分でも何を言っているのか分かりませんでしたが、ただ黙って聞いてくれました。
そのあとは、彼女の方からも色々話してもらいました。
お互い胸のうちを白状したあと、二人で声をあげて泣きました。
声が出るほど泣いたのは、後にも先にもあの時だけです。

結果的にはOKを貰えました。
一度は人生を諦めましたが、彼女に「一緒に生きたい」と言ってもらい、生きる決心がつきました。

その後、ほとんど行かなかったリハビリにも通うようになり、資格の勉強も始めました。
僅かながら、将来に希望を持てるようにもなりました。

近いうちに、プロポーズをしようと思うので思い出して書いてみました。

生まれ変わったら『道』になりたい

覗き異常執着「生まれ変わったら“道”になりたい」…側溝に入り下着を仰ぎ見ていたド変態の「目が動いた」
2013.6.1507:00(1/3ページ)[westピックアップ]

男は、道路脇の側溝(写真左)から侵入して溝の中に身を潜め、側溝のフタの隙間(写真右)から道行く女性のスカート内を見上げていたという。そして、不審に思って下を見た女性と目が合った
 

道路脇の側溝に身を潜め、何も知らずに歩く女性の下着を仰ぎ見る?。そんな誰も思いつかないようなハレンチな行為に出た男が兵庫県警に逮捕された。現場は、神戸の名門女子大や女子高へと続く通学路。暗く狭い溝の中で、女性が通りかかるのをじっと待ち、下からスカートの中を見上げていた男は「生まれ変わったら『道』になりたい」と…。こんな男の“異常行動”は、薄気味悪さや気持ち悪さを通り越し、女子大生たちや付近の住民らに恐怖心すら植え付けていた。

のぞき見への執念

 神戸市東灘区の閑静な住宅街の一角。近くに「お嬢様学校」とされる甲南女子大や甲南女子高があり、登下校の女子学生の笑い声が響く。その通学路脇の側溝に侵入し、鉄製のふたの穴越しにのぞいていたとして、兵庫県迷惑防止条例違反の疑いで、同区の会社員(26)が兵庫県警東灘署に逮捕された。

 逮捕容疑は6月5日午前10時10分ごろ、同区森北町の道路の側溝の中に忍び込み、通行中の女性のスカートの中をのぞくなどしたとしている。

 東灘署によると、側溝は幅約35センチ、深さ約50センチ。会社員はこの狭い空間であお向けに寝転がり、息を潜めて女性が通りすぎるのをひたすら待ち続け、犯行に及んだ。のぞき穴はわずか縦2センチ横10センチ。側溝の中からふたに顔を近づけ、食い入るようにのぞき込んでいたという。

溝の「目」と目が合った

 事件の発覚は、この会社員と被害者の女性の目が合ったことだった。

 犯行時、道路を見ながら歩いていた女性(24)は現場にさしかかった際、ふたの穴から目が動いたことに気づいた。女性がわざわざ下を見ていたことには理由があった。女性は5月末、この現場で、ふたの穴から人の目のような物を見ていたからだった。

 2度目の遭遇で、「人間の目だ」と確信した女性は、恐ろしい気持ちを抑えながら、近くにいた警備員に助けを求めた。110番を受け、署員が到着したころには、すでに側溝には人の姿はなかった。

 ただ、すでに署員らの間では、会社員が浮上していたという。

 会社員は4月にも、側溝の下に入り込もうとしていたのを車を運転していた男性(45)に気づかれて110番されていた。署員が駆けつけたところ、会社員は側溝に潜り込んでおり、「100円玉を拾おうとしたら出られなくなった」と説明したという。

 このとき、東灘署は会社員の自宅を調べたが、動画や写真などが記録された媒体や盗撮データの通信記録は発見されなかった。身元も明確だったことから、逮捕せずに捜査を続けていたのだ。

 それから1カ月あまりの犯行で、ついに逮捕にこぎつけた。

どうやって溝の中に

 誰にもばれずに、どのように側溝に侵入したのか。

 現場の道路は学生や車の通行が頻繁だ。会社員は、側溝のふたを開けるのは目立つから難しいと考えたのか、側溝から20メートルほど離れた排水口から潜り込んでいた。

 排水口は高さ110センチ、幅50センチと広く、ここから川に雨水などを流す。

 会社員はそこから侵入。2度の曲がり角を経て、しばらく進むと側溝の中は狭くなるため、最後ははうように前進し、あお向けになってのぞいていたという。

 会社員は身長約170センチといい、小柄ではない。「午前7時半ごろから入っていた」と供述しており、3時間近くも狭い空間に身を収めていたことになる。

 その異常な執念は周囲を驚愕(きょうがく)させたが、兵庫県警によると、会社員は仰天するようなことを口にしたという。

 「生まれ変わったら『道』になりたい」

 誰にもとがめられず、「道」として下から女性の下着をのぞき続けたい、ということだろうか。さらにこうも話したという。

 「2月にも(溝に)潜んだが、(寒さのせいか)パンツスタイルの女性が多かった。(ミニスカートが増えるので)暑くなるのを待っていた」

コメント殺到

 今回の事件の反響は大きく、インターネット掲示板「2ちゃんねる」や、短文投稿サイト「ツイッター」でもコメントが殺到。中には、ドラマ化されたこともある人気漫画「サイコメトラーEIJI」で、会社員のように側溝から盗撮しようとした登場人物の行動を引き合いに出し、話題となっていたものもあった。

 今回の犯行に、警察は厳しい姿勢で臨んだ。当初、のぞきとして軽犯罪法違反容疑で捜査を行っていたが、悪質な犯行だと判断し、より罰則が重い兵庫県迷惑防止条例違反容疑での捜査に切り替えて逮捕に踏み切った。

 不特定多数の女性の下着をのぞこうとし、大勢に不安を覚えさせた今回の事件。折しも痴漢など性犯罪が多発する夏場を控えた事件の解決に、学生や地域住民らは胸をなで下ろしている。捜査関係者は「悪質な手口だったので、早期に逮捕ができてよかった」と話している。

美少女の同級生が痴漢されていて、自分も痴漢に参加したエッチ体験談

同級生が痴漢されていて、自分も痴漢に参加したエッチ体験談。
いつも最強線で通学している2年の男子です。
先日は人生変わる様な凄い経験してしまいました。

確かに最強線は込みますが僕はいつも遅い時間帯で通学していたのでラッシュのピークはずれていました、しかし、たまたま学祭の準備でいつもより早い電車に乗った時の事です。

いつもMウラワから乗るのですがいつもの様にホームに上ると、見た事のあるセーラー服の女子がいました。中学の時、同級生だった子で、中沢と言う名前です。

こちらを向いていたので近づいてみると、確かに僕の顔を見たのですが何も無かったかのように参考書の様な物を読み始めてしまいました。

まあ、中学時代同じクラスになった事も無かったし話した事もほとんど無い、僕は取り立てて目立つ方でも無かったので忘れられてもしょうがないなと思いましたが、内心はショックでした。

一方、中沢の方は学年でも1、2の美少女で当然僕もよく知っていましたし、水泳の時間に隠し撮りした彼女の水着姿の写真を何枚も持っていて、さんざんオカズにしていたほどです。

後ろに立っても彼女は特に気にかける様子も無く、これは完全に忘れられていると思い、まあ見られただけでもいいかと、彼女の後ろ姿を見ていました。

たしか、学校でただ1人、渋谷の方のお嬢様学校に進学したはずで、中学時代どちらかと言えば細かった体付きもセーラー服が小さいんじゃないかと思うほど腰付きも胸の部分も膨らみ、しかしスカートから覗く素足やウエストは見事に引き締まっていました。

しばらく、ボーと眺めているとホームに電車が来て、いつの間に並んでいたのか僕と彼女の後ろの人達に押される様にして電車の中に押しこまれました。

ドアが閉まり、僕は彼女の斜め後ろに張り付く様に立っていると僕の横、彼女の斜め後ろにいたオヤジがもそもそしている。僕もたまに乗降りのドサクサに紛れて女の子のおしりを触ることはありましたが、オヤジの行動はそんな物ではありません、何時やったのか中沢のスカートは完全に捲れ上がり、白い下着が完全に見えています。

オヤジの手はおしりに張り付かすようにおしりと割れ目を行き来するように揉んでいる。彼女を見ると何も無いかのように前を見詰ています。咄嗟の事で助けるのも忘れ見入っていると、今度は彼女の前に立つ会社員風の男と大学生風の男が触って来ました。

大学生がセーラー服の上から彼女の胸を揉み、会社員は僕からはよく見えませんでしたが前から太ももとそのつけ根辺りを撫でている様です。

まだ駅を出てから2、3分、確かAバネは反対側のドアのはず、つまりまだ20分近く今の状況が続く事になります、もう既に大学生はセーラー服のファスナーを下ろし中に手を入れています、オヤジはパンティーの中まで手をのばし直に揉んでいる、そんな状況にも関わらず彼女は平然と前を向き電車に揺られていました。

中沢は噂に聞くOK子なのだろうか?確かに中学時代からおとなしい子で怒鳴ったり、騒いだりした所は見たこと無い。

オヤジと会社員は連携して彼女のパンティーを膝まで下ろすと、白く引き締まったおしりが完全に顔を出す、大学生が僕の目の前に手を伸ばし彼女の背中のブラのホックを外す、既に捲れ上がったセーラー服の下でブラジャーから開放された乳房がプルンと揺れその先端にある乳首までが完全に晒された。

それまでの一部始終を見ていた僕に、大学生がニヤッと笑い僕の方に今まで中沢の乳房を包んでいたブラを鼻先に突き出す、頬に触れたそれはまだ暖かい。

横ではオヤジと会社員が彼女の白いおしりと薄い陰毛の奥にあるマンコをいやらしく撫でている。ブラの匂いを嗅ぎ、股間を這い回るオヤジ達の手を見ていると何かがキレた、気が付くと僕は目の前のおしりと片方の乳房を鷲掴みしていた。

電車が県境の川を渡った頃、オヤジ達の指使いが一段と激しくなる、後ろからはおしりの穴に指を入れられゆっくりではあるがおしりの穴を掻き混ぜている、マンコには指を2本突っ込まれこちらは激しく突上げられていた。

掌に少し余る程の張りと弾力のある乳房を揉み、片手ではおしりに跡が残るくらい強く捏ねながら中沢はもう処女じゃないんだとそんなことを考えていると、電車はAバネの駅に着いたらのか減速しだした。

しかし恥辱はまだ続く、駅に着くと同時にちかん3人はチャックを下ろしチンポを取り出す、ドアが開き更に人が押し込まれてくると3人は彼女を片手で抱きかかえオヤジと大学生は彼女の手にそれぞれ自分のチンポを握らせた。

ドアが閉まってもちかん達の位置は変わらず、僕も中沢に掴まっていたため同じ位置をキープした。

オヤジと学生は彼女にチンポを握らせたまま、先を彼女の太ももに押付けるようにして前後にしごかせている。会社員も相変わらずマンコを責めながらチンポは彼女に押付けた状態だ。

JUじょうに着く前後でオヤジと学生が射精した、彼女の太ももに白い液がつたい膝で止まっていたパンティーに染込む、オヤジ達はまだ先に糸を引いているチンポの先を太ももや薄い陰毛の擦り付け、更にパンティーで拭いた。

大学生が僕の方を見て肘で突付く、どうやら僕にもヤレと言っている様、既に会社員は正面から彼女に覆い被さる様にして股間にチンポを挟み、ゆっくり前後に動いている。

さすがにこの頃になると中沢は目を瞑り、よく聞き取れないが少しだけ声を出している。僕もチャックを下ろしもう既に痛いくらい充血していたチンポを取り出す。

もうここが電車内などとは忘れていた、大学生が彼女の手を取り僕の股間に持って来てくれた、彼女の手は少し冷たかったがいきり立ったチンポには丁度いい、彼女の手が僕のチンポを前後にしごく、驚いたことに彼女は自分の意思でしごいている、するとオヤジ達にも同じ様にしていたのだろうか?彼女は自分でちかんをされたがっている?

電車はIぶくろに着いた。会社員は着く直前彼女の陰毛の辺りに粘りつくような白濁液を出しそれを陰毛全体に擦り付ける。

僕ももうイキそうで、上り詰める様な感覚がそこまで来ている。その時ちかん3人が彼女を抱きしめ位置を変えた。会社員が彼女の上半身を抱き寄せオヤジと学生が両太ももを押さえつける。必然的に彼女は僕におしりを突き出す格好になった。

僕のチンポは今、彼女のおしりを押付けられている、さすがにギュウギュウ詰めの狭い社内、おしりを突き出すといってもわずかでしかないが、チンポをおしりに押し当てているうちに、充血した先端は彼女の入り口を探り当てた。

ちょっと腰を突き出すとニュルとした感触と亀頭を包み込み締め付ける感触、先端だけだが僕は中沢に挿入してしまった。

濡れてた。先っぽだけだからあまり動けないが、亀頭を締付け、裏側に彼女が絡み付いている。

電車の揺れに合わせて小刻みに動くと1分ともたず心地よい痙攣とともに彼女の中に射精してしまった。奥まで挿入出来なかった為チンポを抜くとほとんどの精子が膣から溢れ、ポタポタと膝で止まっているパンティーにたれた。

僕が心地よい放出感から我に返ると、もうSじゅくの東口が見えていた。

いつの間にか中沢はちかん達に手際よくセーラー服を着せられていた、オヤジにブラジャーのホックをしてもらい、膝まで下ろされていたパンティーが元に戻される。所々に精子の染みが付き、股間に食込ませるように引上げられる。よく見ると股間の部分はグッショリ濡れており、布の間からは白い液体と泡が滲み出ていた。

僕とちかん達は新宿で降りた降り際ちかん達は各々中沢のしりや胸を揉んで行った。会社員が最後に小声で「明日もね」と言ったのを確かに聞き、彼女はわずかにうなずいたような気がした。

僕もそそくさと電車を降り周りを見ると既に3人は居なかった。
その日から僕は毎日早めの時間に登校するようになった。
毎日夜していたオナニーもやめた。

彼女の家も通学路も知っている。待ち伏せするまでも無く彼女とは毎日一緒に通学出来る。
ちかん3人も毎日ホームで会うがお互い名前も知らない。
少し話した所によると、春先から彼女に痴漢しだし夏休みもたまに登校していたようで休みの終わりに処女を頂いたようだ、一応大学生がリーダーの役らしく彼が一番最初に挿入したと言っていた。

しかし、彼女は時間も車両もかえずされるがままで、挿入されてからは自分から手コキまでしてくるようになったと言う。
あの大人しかった中沢がちょっとショックだったけど、今は楽しい通学をしています。

陸上部のJK.

その子をはじめて目にしたのは4月のとある日だった。
新入生目当ての変態っぽいのが正面から密着していた様だったが、
触られだした途端に、蹴りを入れて撃退していた。
そんな事をすると仲間呼ばれて囲まれるのではと心配した。
案の定翌日数人に囲まれて何かされそうになっていたが、
またもや暴れて何とか撃退していた。

ああいう手合いは結構横の繋がりがあるようで、もは彼女に手を出す奴はいなくなったようだった。
彼女は部活に入ったのか部名入りのジャージで通学するようになっていた。

5月の連休明け、私は車内で部活ジャージ姿の彼女の後ろに立っていた。
以前から疑問に思っていたことを試すときがきたのだ。
「この子は、ソフトに触れられたらどういう反応を示すのだろう?」

運動部らしく5月にして既に軽く日焼けしたうなじを見下ろしながら
ジャージの上からそっと尻に指の甲を当ててみた。
擦れた感覚でびくっとした彼女。しかし触れるか触れないか、ぎりぎりのラインで
混雑のせいか判断がつかず困った様子。
指の甲からもわかる、運動部にしては柔らく、垂れとは無縁の健康的な美尻。
パンツの線を辿ったり、手のひらで撫で回したりといったあからさまな行為はせず、
そのまま電車の揺れを利用しながら指の甲でそっと尻肉を軽く優しく擦り続けた。
彼女は少し俯き加減でドアに寄りかかり20分程お尻を擦られ続けた。
降りる際に振り返って後ろの私を見ていた。怒っている様ではなかったが・・・。

翌日からは1週毎に指を2本・・・3本、毎朝後ろについた上にここまで増えれば故意に触れているのも同然だが
彼女は迷ってるうちに拒絶するタイミングを逃し、ズルズルと引きずり込まれた感じだった。
もう一本遅い電車からは激込みであるため、変えにくいのが大きいのだろう。
私は彼女のフワフワな柔らかいお尻の感触に病み付きになっていた。もはや病気である。

6月、衣替えの季節。それまでのスウェット地のジャージから、薄い夏のトレーナーに替わった。
そっと3本指を当てると、生地が薄くお尻のフニフニ感がダイレクトに伝わってくる。
おもわず手のひらを返して軽く下尻を撫でてしまったが無抵抗だった。彼女の境界線は少しずつ押し下げられ削り取られてしまっていた。

そしてすぐに中間テストの季節が来た。部活が休みで、制服で通学することになる。
チェック柄のスカート丈は膝が隠れるくらいで、他の子より長めだった。
その日は雨予報のせいかいつもより人が多く、遅れ気味だった。
彼女もいつもの電車から一本遅れた。彼女の真後ろに並ぶと
躊躇う様子を見せたが、もう一本遅いと遅刻しかねない。
そっと押して激込み電車に押し込んだ。
反対側のドアに押し付け、これまでと違う完全密着状態。周りから死角に
なっている片方の手で、手のひらでお尻を包み込む。
スカートの上から柔らかいお尻全体をソフトに、だがはっきりわかるように揉んだ。
さすがに嫌がって体をそっと捩ったので、すこし間を取った。
残り時間は15分位。め、
スカートのポケットの位置を確かめると中のファスナーをそっとゆっくり下ろして
そのまま一気に左手を中に滑り込ませた。履きこみの深い綿パンの感触。
今までに無かった異常事態に彼女から梅雨空のドアの窓越しの反射で抗議の視線がきたが、
左手でパンツの上から恥丘の膨らみを揉み擦り、右手でスカートの上から
股間を指で穿る。彼女は手摺に手を絡め俯いている。
次第にパンツが湿ってきた。クリのあたりをフニフニ執拗に責めつづけると、
「んっ」と微妙な声ともに脚を震わせ腰が落ちた。
パンツのそのあたりはぐっしょり濡れてしまっている
右手を腰に回し、左手の指をそっとパンツの裾から挿入。
彼女は手摺を何度も握り返し、周りを気にして恥かしそう。
第二関節まで沈めて強弱をつけながらクチュクチュしたり
出したり入れたり。
彼女は眉を八の字にして苦悶の表情。
そっと指を抜いて、栗を生ではじいてやると
今度ははっきりとわかるようにイってしまい、耳まで赤くなっていた。

因縁つけて痴漢するつもりだったとしか見えませんでした

古い修羅場聞いて下さいな。
二十年前高校生でバス通学していた、定期テスト期間中で午前中で終り
普段自転車通学だった友達が、帰りに寄り道するからと一緒に駅前からバスに乗った。
バスは中途半端な時間のせいで、がらがらで乗客は友達と二人きり。
次のバス停でお爺さんと中年のおばさんが乗って来た。
友達が両替のために立ち上がり学生鞄を座っていた座席に残して運転席隣の
両替機に向かったら、お爺さんが友達のカバンの上にどずんと座った。

びっくりして「すみません。そこ友達が来ます。鞄もあります。」と私が恐る恐る言ったら
「なんだとーお前老人に席を譲らずに座ろうっていうつもりか!!!!」と怒鳴り
「お前は○○高校だな!何年何組の誰だ!私は○校の教頭とも親しいから
お前なんか退学にしてやる!生徒手帳を見せろ!!!」と私の胸ポケットに入っている
生徒手帳をとろうとしたのか、私の胸をがっ!と掴んだ。
説明下手ですが、校則で胸ポケットに生徒手帳をいれておかないといけなかったのです。
もう理性もくそもふっとび「きゃー痴漢。痴漢。痴漢。痴漢。痴漢。」と痴漢を何度連呼した
ことか。バスが急に停まり運転手が飛んできた。「このじじい痴漢です。胸を掴まれました!」と
私が叫ぶと友達も「じじいが因縁つけて、この子の胸掴みました。変態です。」と言ってくれました。
爺さんはバスから降りて逃げようとしたので、運転手が拘束して乗り合わせたおばさんが
110番してくれました。その間も私はずっと泣いてました。その頃は胸を掴まれて
大大ショックだったんです。純情でしたねぇ。

爺さんは「そんなつもりじゃなかった。席を譲らないふととぎものに説教するつもりだった。」とか
もごもご言ってましたが、おばさんが「因縁つけて痴漢するつもりだったとしか見えませんでした。」
と警察で証言してくれて、警察で被害届を出すかどうか、親を呼んでゆっくり考えなさいと
親も担任も教頭も来て大騒ぎになりました。
教頭が来てびっくり、そのじじいは教頭の元上司で知り合いだった!どうやら教頭に私の事を
いいつけて退学にするつもりだったらしい。教頭に「○○先生」絶句され呼ばれてきた
息子夫婦(息子と嫁さんも教員だった。)に「お父さん情けない。」と詰られて大変だったらしい。
後から親に聞きました。結局教員だった息子夫婦に土下座されて親も二度と娘に近づかないと
一札を入れるならと被害届を出さないで終わりました。親が聞いたにはじじいはその後息子夫婦に
老人ホームに入れられたそうです。教員だったことを鼻にかけてそこらへんでおとなしい学生を
ターゲットにして退学にさせると脅かして謝らせていたことが分かったからだそうです。

定期テストの次の日からあまりのショックで熱をだし、再試を受けることになったのも修羅場でした。
再試になった時点で評価がさがるので狙っていた推薦が取れなくなったのです。

その場合も再試で推薦枠から外れるのか…
犯罪に会った被害者まで落ちこぼれ扱いとか学校酷くない?

むしろ教頭が融通利かせるべきだと思うけどなー

今は知らないけど、当時は体調管理も成績の内って言われて
法定伝染病以外認められなかった。これで三年間トータルの評定が4.0切れちゃって
推薦して貰えなくて、一般入試でチャレンジして滑り、滑り止め大学に進学しました。

クソ爺のせいで人生変わっちゃったのか…

一回の定期試験でしょ?
昔でもそこまで試験一点主義はありえないから
あなたの学校が特殊だと思う

犯罪に会って担任も教頭も来る騒ぎでその対応はないわ
多分被害を訴えてエリート教員一家に恥をかかせた報復だと思う
お前が言い出さなければ○○先生の犯罪が表に出なかったって



アクセスカウンター

    QRコード
    QRコード